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おととい、「はじめまして」とメールをくれた人がいる。僕のことを、あるラジオ番組で知っていて、いま僕がどうしているのか、気になっていたのだそうだ。ちょっとうれしいメールだった。

先日、徳島県の上勝町というところで薪を割ってきた。日本に帰ってきてから、僕はたくさんの人に出会ったけれど、いくつもの新しい出会いは一時的に新鮮に映るも慣れてしまえばただ僕を、がっかりさせていくものがほとんどだった。

やっぱ日本って―、日本人って―、などと外国かぶれの嫌らしい心になりかかっていた頃、ニュージーランドで出会った上勝町民からの誘いが届き、上勝町ワーキングホリデーとかいうのに参加してきた。そして行ってみるとそこには、僕と似た空気をまとった変人たちが集結していた。みんなそれぞれ固有の領域を持っていて、互いに、過去現在未来のドラマを語り合うのは、とても気持ちのよいものだった。

徳島で出会った人たちの中では、僕がニュージーランドで暮らしていたことも、野宿もチャリンコ旅行もいろんな体験も、それほど突き出したエピソードではなかった。そういう類の話を僕らは、「共感」のステージでお互いにエピソードを投げ合った。ただ、その中で僕が特殊だったのは、「ゲーム」について語りだしたことだ。

僕が、現在に至るまでのドラマを語るとき、「ゲーム」という要素を欠くことはできない。しかしそこで語り合った人たちはほとんどが、「ゲーム」という響きに対して好意的なイメージを持ってはいなかった。そこで僕は改めて、自分が「ゲーム」と向き合ってきた日々、特に、「人間」という名のゲームについて考え続けてきた日々の貴さを実感し、そこに僕のアイデンティティを認識した。

昨年10月、恵比寿。ゲーム業界でお仕事をしている水口哲也さんと平林久和さんと、3人で会食した。一年前に交わしていた約束だった。僕は、『人間』というタイトルのゲーム企画書を作って持っていった。

とりあえず向こうでの生活の話から入り、「で、これからどうする?」という話になり、僕は、とりあえずボクシングをやるつもりだと言った。それから成りゆきでホストクラブに勤めることになり、とまあそんな話をしていると、始めはただ大爆笑していたお二人だったが、その後それぞれ全く違った表情を見せてくれた。

水口さんは、いつの間にか黙り込み、何かを考え込んでいる様子だった。対して平林さんは、お酒を飲んでいるわけでもないのにかなりハイになり、笑顔が消えなかった。「何か説教された気分だよ~」と、喜んでくれていた。

そんなタイミングで、僕は例の「人間」という企画書をとり出した。大まかなイメージは、帰国する飛行機の中で完成していて、その一枚の紙切れは、その日家を出る前にさっと書きあげたものだった。平林さんはそれを眺め、苦笑し、一言、「なるほど」と言った。水口さんは、その企画書を、読んでくれなかった。「俺は、見ない。そんな10分か20分で書き上げたものなんかよりも俺は、その山中の物語の続きの方が楽しみだから」とのことだった。

しかし実は、その談笑の中で既に、企画書上に書かれたことと似たようなことをして3人で遊んでいたのだ。と、感じていたのは僕だけだったわけなのだが。

ともあれ、ゲーム『人間』を考え続ける作業は、自然と僕を、ゲーム業界から遠ざけることとなった。『人間』という名のゲームは、僕がいつか到達する目標地点、またはそれについて考えるための「目的」だと思っていたが、僕はいつからか、それが単なる「手段」として存在しているのだということに気づくようになった。「目的」というものはもっと高い次元に在って、そこに向けて伸びていくベクトルは、時に「ゲーム」であり、ニュージーランドであり、ボクシングであってもよいのだ。

ピカソは、青い絵の具が足りなくなった時、赤い絵の具を平気で代用したそうだ。それは、ピカソにとって「色」は単なる「手段」に過ぎず、表現したいことが、もっと高い次元に存在していたということだ。

僕がニュージーランドを出て、日本の社会に入ってきた時、そこに並んでいた問いは、赤い絵の具か青い絵の具か、それとも黒か緑かオレンジか、その程度のことだった。ただ、僕にも好みはある。誰かが空を青く塗るのなら、そこに緑を使ってみたくなったりするし、誰かが絶対に赤だというのなら、黄色だって構わないのだということを証明してみたくなる。

僕はいろんな人間に出会うのが好きだ。ただ、一番会いたい人間は、僕自身だったりする。それは例えば、ニュージーランドで暮らす自分だったり、ボクシングをする自分だったり、ホストクラブで働く自分だったり、上勝町で薪を割る自分だったり、「ゲーム」について語る自分だったりする。そういうたくさんの自分に出会い、好きになったら長く付き合うし、嫌いだったらさっさと別れるだけだ。

おととい、メールをくれた人とはおともだちになった。その人に宛てた返事にも書いたのだが、つくづく僕は、しあわせなフリーターだと思う。僕は大した資格も技能も持たず、仕事も長くて2,3ヶ月で転々としている。そんな僕は、「まったく、最近の若者は―」と、一色にまとめられてよく、人生の先輩みたいな人たちから説教を受けたりする。みんな、他人事に説教するのが好きなのだ。僕の周りがみんなそんなひとばっかりだったら、「あー、僕もそろそろどこかの企業に身を固めて、その道一筋で生きていかないといけないな」という風に思ってしまうのかもしれない。まあ、それの良い悪いは別として、好き嫌いで言えば僕は嫌いだ。

そんな僕が折れそうになるとき、僕の心のどこかで支えてくれるのは、あの日の水口さんと平林さんだ。僕が歩んできた物語と、その予告編を二人に話すと、「ははは、おもしろい! やれよ! がんばれよ! たのしみだな~」などと他人事だと思って好き勝手に助長する。二人は、僕の物語の主人公が、僕自身であることを確かに尊重してくれる。そんな二人のような観衆がいてくれることを思うとき、僕は、しあわせな自由人でいられることにいつも感謝する。

そして、『人間』という名のゲームと、僕の物語はまた続く。

Kamikatsu days [13th March] (自分のサイトにトラックバック)
# by KazuFromJP | 2005-03-18 11:18 | ゲーム『人間』
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「壊れたラジオ」と呼ばれるその男が店に現れるといつも、僕は彼女を思い出す。

「壊れたラジオ」

店に入ってきてそばを注文するが、食べることよりも喋ることに夢中になっている彼、正確に言えば彼らを、店のおばちゃんたちは、「壊れたラジオ」と呼んでいる。

こちらに向かってあれこれ何かモノを言い続ける。しかしそれに対して答えてみても、彼らの世界には届かない。ラジオの向こうにいるから。今日現れた60代後半くらいの彼は、不景気について喋り続けた。一昨日は別のラジオが、「競輪だけはやめておけ」というタイトルのトークを展開した。彼らは全く受信をせず、ただ発信あるのみだ。店のおばちゃんたちは彼らを迷惑がっているが、僕はそんな彼らを見るのが好きだったりする。そんな時僕は彼らの中に、3年前に道端で出会った、ホームレスの女性の姿を見る。

3年前、5月、僕は、あるゲーム会社の説明会に向かい、新宿を歩いていた。会場に近づき、横断歩道を渡ったところで彼女は突然現れ、僕に話しかけてきた。ちょうどその頃から、妙な出会いを楽しむように心掛けていた僕は、ふと立ち止まり、彼女の話を聞き始めた。

年齢は、60代半ばに見えた。前歯がいくつか失われていた。そしてその身なりから、彼女が路上生活者であることは明らかに分かった。僕はその彼女が発する言葉に興味深く聞き入り、相づちを打ちながら、頭の中はあれこれその言葉の向こう側にあるものを考えていた。彼女のトークは終始、彼女の息子自慢で展開した。タイトルを付けるなら、「わが息子、勝ち組へのサクセスストーリー」といったところだ。

その話の中で彼女は幾度も、「ねぇ、すごいでしょ? うちの息子」みたいな感じで、共感のうなずきを僕に求めた。どこの大学を優秀な成績で卒業し、どこの企業に就職し、今はエリートどうのこうので、結婚して子どもがいて、立派な家に住んでて―、という話であった。しかしその母は新宿の路上で生活している。その母親を放っておいている息子のどこが立派なのか、みたいな俗な質問というか意見を僕は彼女にしてみた。

ところが彼女は、「壊れたラジオ」だった。

僕は彼女と会話をしているつもりでいたが、彼女にとって僕は、「人形」みたいなものだった。それから僕は、発する言葉を失い、彼女の話が、傷ついたレコードのように、どこかに戻り、同じパートが繰り返されるのを、黙って聞いていた。

やがて会社説明会の時間が近づき、僕はまるで、言い訳を自分に言い聞かせるみたいに言葉を発し、その場からフェードアウトした。壊れたラジオとなった彼女を置き去りにして。

あとになって、いろんな推測をしてみた。例えば彼女には本当に自慢の息子がいたが、夢のサクセスストーリーを目の前にして他界してしまったのかもとか、その話ははす向かいに住んでいた青木さんちの息子の話だったんじゃないかとか、単なる昨日の夢だったんじゃないかとか。

でも、彼女の話が本当でも嘘でも、どこかに何らかの真実があったとしても、それは単に僕側の、「ドラマ推測ゲーム」であって、彼女自身にとってはもう、どうでも良かったことなんじゃないかと今では思う。何故なら、「壊れたラジオ」となって、「人形」の僕に喋り続ける彼女の笑顔は、とても明るかったから。

特に、傍らを早足で通り過ぎていったたくさんのビジネス仮面たちとは対照的で、いま思うとそれは、まぶしいくらいだった。そのことに関して、「ビジネス仮面よりも壊れたラジオの方が素敵」といったような結論を安易に出せるわけではない。何が良いとか悪いとか、嘘も真実もどうでもいい。ただ、僕の記憶に刻まれている事実には興味深いものがある。

それは、その直後に参加した会社説明会のこと。そのゲーム会社は当時、僕が一番興味を持っていたし、実際にその説明会も、僕が参加した他社のものと比べてもかなり工夫され、面白かった。けれど、今となってはその説明会で聞いた話や、出会った人のことはあまり覚えていないのだ。一方、その直前に出会ったあの女性のこと。話した内容、彼女の身なり、表情。それだけじゃない。その時の空の色、風の匂い、通り過ぎていった人たちが残した足おと、何だかどうでもいいはずのことまで、「とりあえず残しとけ」みたいに記憶に刻まれている。

あの日「人形」だった僕でも、ホームレスのあの女性にちょっと幸せな時を与えられたのかもしれない。そして「壊れたラジオ」だった彼女も、僕に何らかの「鍵」を確かに残した。

出会いとは妙なものだ。あれから3年が経ついま、彼女の物語は、どんな風景をさまよっているのか。
# by KazuFromJP | 2005-02-23 02:14 | ゲーム『人間』
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さっき、たまたま点いてたテレビで司法改革を題材にしたドラマが始まり、気づけば、最後まで見てしまった。

「あなたは人を裁けますか?」
みたいなサブタイトルが付いてた番組の再放送だったようだ。数年後には日本でも、陪審員制度に似た、一般人が裁判員として裁判に参加する制度が始まるらしい。会社員やら主婦やら塾講師やらフリーターやら、一般市民が法廷で裁判官とともにひとを裁くことになる、という話だった。

そのドラマも、なるべく推理ドラマ風にならないように気が遣われているように感じたが、やはり最後には転結の「ドラマ」があり、見ていていろいろ考え、まあ面白かった。とはいっても、僕はその番組の主題や意図みたいなものである司法改革などはどうでもよい。僕がそこに見ていたのは、「人生ドラマ」だか「ドラマ人生」だかの面白さだ。

昨日、一年半振りに厚木に行き、昔のテニス仲間たちと会った。最近は、というか日本に帰ってきてから、何かを語ることがほとんどなくなっていたのだが、昨日は、無口だったこの4か月分ずっと喋り続けた気がした。たまたま昨日、僕の噂を聞かされたらしい友人の友人達が興味を持って集まっていたというような理由もある。

しかし、物を語るというのは楽しく、自分を知るための、何か、良い手段というか、素晴らしいものなんだな~と、改めて感じた。

普段、日記やら脳内会議やらで自分と対話している時には、ある程度の言葉を連ねておけば、あとは記号的な映像が自分の中に立ち上がって、そこから命令が出て、一件落着となる。だがそれは22年間ともに過ごしてきた自分自身だからできることで、他人と話す時には、相手の中にその映像やら世界やらを展開させるための「言葉」が必要となる。

昨日、初対面の相手に、僕がニュージーランドに行くことになった経緯や、向こうで考えたこと、いま考えていること、やっていることなどを語ったのだがその時にふと、
「僕の物語の中には、やたらいろんな人物が登場するなー」
と思った。そして、自分が出会った人の話を順々に追っていくだけで、自分自身を語れてしまうという感覚は、何だか不思議なものだった。そしてそれをひとに語っているうちに、何だか忘れていたあの人やこの人のことまで思い出されてきて、面白かった。そしてもっと面白いのは、僕の物語に登場したいろんな人物もまたそれぞれが主役の物語を持っていて、それが、今でもこの世界のどこかで継続しているということだ。

冒頭で書いた裁判員のドラマにもそれに似た、遠い物語同士がぶつかり合う瞬間の面白さがあった。まあ番組の意図とは違うわけなのだが。僕は、その世界に自分も居られるドラマや小説が好きだ。その世界の中を歩いている自分を想像できるドラマというか、例えばこんな僕が、「裁判員だったりなんかして」とか、「コンビニの店長を殺してしまったホームレスだったりなんかして」、「クビ切り部長と呼ばれる会社員だったりなんかして」、「線路に座り込んでいた人を引いてしまったことがある元列車運転手だったりなんかして」などといった想像のゲームが楽しめるような。

いつからか僕は、想像だけでなく、自分の足でそういうドラマを歩いてみるようなゲームを楽しむようになった。そんなわけでこんな僕が、ニュージーランドに住んでみちゃったりしたことがあった。またこんな僕が、野宿しながら自転車で旅してみちゃったことがあった。誰かの日記を読んで知っている人もいるかと思うが、こんな僕が、ホストクラブで働いてみちゃったりしたこともあった。帰国後この4ヶ月、ホテルマンだったり工場作業員だったり、引越し屋だったりして、今はそば屋だったりする。

僕はニュージーランド生活を終えた後も、それまでと同じようにゲーム感覚の人生を送っていると思っていた。しかし、この4ヶ月の中には、「ドラマ」が少なかった。相変わらずの激しい登場人物がそこにはあったが、僕は彼らに「自分」を語らなかったし、「彼ら」をほとんど尋ねなかった。いつの間にか、TVドラマを観るかのように、想像や推測の物語だけを楽しむようになっていた。

ここへ来て再度それるが、「ドラえもんのび太のドラビアンナイト」という映画をむかし何度もビデオで観た。そのあらすじはどうでもいいのだが、その話に、「本の話の中に入り込める靴」というのが登場した。確かピノキオだかなんかのおとぎ話の中に入って楽しんでいたのび太だったが、ジャイアンとスネ夫が、いろんなおとぎ話のページをバラバラにして一つに束ねてしまうと、そこに毒リンゴを持った魔女だとかサルとかカニとかカメとかウサギとか、いろんなドラマが交じりあって、激しい物語が一つの世界で同時進行することになった。というのは、その映画ではほんのひと場面でしかないのだが、この現実世界も実は、そういういろんなページが交じり合ったようなものなんじゃないかと思った。

時に僕は、ニュージーランド人の生活に足を踏み入れたり、ホストの世界に登場してみたり、ボクサーのドラマをやったりもする。でもそこに、僕しか存在しなかったら、ちっとも面白くないドラマだ。単なる体験ゲームだ。桃太郎でも、もし彼と鬼しか出てこなかったとしたら、ちっとも面白くない。そこでは、おばあさんは川で洗濯をしなければならないし、おじいさんは山へ柴刈りに行かなければならない。ついでにサルやらの仲間も、それぞれ順番に登場することで、それぞれのドラマがそこに生まれる。彼らもキビダンゴをもらうまではたぶん、それぞれのコミュニティの中で、それぞれのドラマを生きていたのだろう。いくら鬼を倒すためだといっても、トラにキビダンゴをあげて、3匹ほど仲間にしたりしてはいけない。きっとトラたちは、鬼退治に似た生活を普段から送っているはずだから。

というわけで(というのはちょっと強引な飛躍かもしれないが)、僕は昨日までのゲームティックな生き方を反省し、ドラマティックな生活を送ることにした。それはいまの僕の場合、記号と命令と地の文を抑え、人と自然と会話文を増やすということだ。
# by KazuFromJP | 2005-02-15 04:16 | ゲーム『人間』
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僕はいま、何者なのか。
というようなことを最近よく考える。

僕は2003年の1月、三年日記というものをつけ始めた。ページが三分割され、上段が1年目、中段、下段が2年目、3年目と進んでいく、よく書店に平積みされているやつだ。3年目に入っている現在ではそこで、1年前、2年前の自分に出会うことができる。

1年前の今日、僕はニュージーランドのクライストチャーチに住み、仕事を探しているところだった。2年前は八王子の学生で、就職が決まり、ニュージーランドに行く計画をやめて、都内にアパートを探しているところだった。そして現在は横浜に住み、フリーター生活なんかをしている。

2年前、1年前のそれぞれの僕がいまの僕を見たら、どう思うのだろうか。ちょっとがっかりするかもしれないし、ちょっと喜んでくれるかもしれない。

そもそも、それまで日記帳など持ったことのなかった僕がそれを始めたのは、2年前のその頃に、僕の生活がかつてない方向に変化しようとしていて、それを書き残していくのが面白そうだったからだ。と、思う。またある日、2年間の専門学生時代にあちらこちらの紙切れに走り書きして残していた自分の言葉が、時間を置いて眺めてみるとその瞬間の自分へのメッセージのように感じられたりしたことがあった。2年前の1月、「僕の生きる道」というテレビドラマを見ていた。その中で、余命一年を宣告された草彅剛(くさなぎつよし)演じる主人公が、ビデオ日記をつけていたりした。

そんないろんな理由が入り交ざって、ともかく僕は、三年日記をつけ始めた。結局のところ何が本当のきっかけかと言われてもよくわからない。僕が何かを始める時というのはいつもそうだ。ニュージーランドに行くと決めた理由もゲームを作りたいと思った理由も専門学校もボクシングもアルバイトも、大きなきっかけが一つ二つあり、それに後付されたのか、元々考えていたのか今となってはわからない「目的」がおのおの10個くらいあった。

ともあれ今日、僕は2003年2月8日と、2004年2月8日の僕に出会った。現在の僕も含めて3人の人生は、日記を辿っていくと一本に繋がっているのに、何だか全然別の世界を生きているようでちょっと楽しい気分になる。自分の日記帳を見て独りで楽しんでいるのは、客観視をすると妙ではあるが。

2003年の僕は3日後にアパート探しをやめ、内定先の社長宛てに断りのメールを送ることになる。2004年の僕は5日後に、NZで最初の仕事を得ることになる。そして僕は今日、徳島行きの航空券を予約し、来月また新しい「鍵」を探しに行く。

2年前の今日の3日後、就職をやめてニュージーランドへ行く計画を立て直した僕が、白紙だった2004年、2005年の物語に望んだものは、2003年の僕の想像力を超えるストーリーだった。そしてそれは今、まあいい感じのストーリー展開で進んでいるんじゃないかと思う。とはいえ、2005年でそれが完結するわけじゃない。

僕はいま、他人には見せることのないその三年日記とは別に、ウェブログという、公開用の「書き残しスペース」をここに持っている。一日に5,6人しか訪れない場所ではあるが、人に見られる場所となると、僕は恥ずかしくも自分のイメージや評価みたいなものを気にして、そうそう頻繁にものを書くことができない。単なる時のひらめきや思いつきをここに書くときも、ちょっと改まってしまい、なかなか短時間でまとめることができず、結果、書くことから離れがちになってしまう。以前、「発信し続けることが大事」みたいなことを自分で書いておきながらも。

2003年の僕が、2005年の僕に何らかのメッセージを与えてくれるように、2005年の僕が何者だったのかとここに残すことが、もしかしたら2015年の僕を救うことができるかもしれないというひらめきから、今日の記事は書き始めた。これが、2015年の僕だけじゃなく、2日後の僕や、僕じゃない誰かの物語の一行にでもなればと、2005年2月8日の僕は思う。
# by KazuFromJP | 2005-02-08 23:50 | ゲーム『人間』
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僕はずっと、何かを探していた。

何かを探して、外の世界を歩き回ってみても結局、
自分を満たすものが見つかるのはいつも、
自分の中だった。

まあ、よく聞くような言葉だ。僕がニュージーランドで過ごした365日間、そして日本に戻って今日まで、何だかいろんなことを、以前の自分ではやるはずもなかったようなことをやってきた。なぜ? 何を? 僕は探していたのか? 最近そのことに関して、またしても僕を満たす言葉が、僕の中に見つかった。それは、つまり僕が探していたのは、「鍵」だった。

人はそれぞれ、その内側に無数の箱や、蔵みたいなものを持っている。その中には、いわゆる人それぞれの「探し物」みたいなものが収められている。生まれた瞬間からそれらはそこにあるのだが、それらの箱や扉には鍵がかけられていて、自らの力では開けることができない。そこで僕らは、鍵を探しに外へ出る。

高校三年次、重い扉で閉ざされた蔵の鍵を開けて、その中に詰まっていた僕の、本当の言葉を開放してくれた先生がいた。中学時代に出会ったテニスは、初めて僕の、「試行錯誤」という箱を開けることとなった。専門学校時代には、僕の手足についていた手錠の鍵を開けて、より遠くへ、「鍵」を探しに行けるようにしてくれた人たちと出会った。

一昨年の夏、日本のユースホステルを転々とし、屋久島などを訪れた。その19泊20日の日々、そしてその秋から364泊365日のニュージーランド生活。そこにはもう、数え切れないほどの鍵が散らばっていて、僕の中にある、大小たくさんの箱や扉を開けた。

昨年10月に、ゲームプロデューサーの水口哲也さんと2年振りにお会いした。恵比寿駅から歩いて食事へ向かう途中で一番最初に出た話題を、その後メールで毎回、自然にお互い語っている。それは、「時の長さ」について。前回の、「春の香り」と題した記事にも書いたが、僕はニュージーランドで生活を始めてから、妙に時間が長く感じられるようになった。その感覚は、日本に戻って生活をしている現在も継続している。10月で独立一周年を迎えた水口さんも、本当に長い一年を過ごしたらしかった。「充実している時間」、「変化の激しい生活」の中にいると、繰り返しの毎日よりもずいぶん長く、時間が感じられるよねー、みたいなことをその時は話したが、それはつまり、その時間の中で出会った「鍵」、開いた「箱」や「扉」の数なんじゃないかと思う。

今日、専門学校時代に非常にお世話になった平林久和さんの、「西洋美術史」の講義に参加してきた。平林さんは、「来てくれて本当にありがとう」と言っていたが、僕はただ、新しい鍵を取りに行っただけだった。自分の蔵のどこかにあるいくつかの箱の鍵が、今日そこで手に入ることは、分かっていたから。

教室、というか小ホールみたいな空間で、CG制作を志す生徒たちに向けて行われる西洋美術史の授業。
「はい、ここは写真撮影可です」
カメラとノートを併用して黙々と学習する生徒たち、眠り続ける生徒、喋り続ける生徒。僕の最近の生活の中に刻まれる光景としてはかなり斬新なものだった。そんなところにはいつだって「鍵」が落ちている。
「お、あったあった。ガチャ。パカッ。」
みたいな。

平林さんには悪いが僕は、どの画家が何派で、どの絵がナントカイズムを象徴しててとかいう話には興味がない。僕はただ、何だかちょっと気になるような絵を、作者がどんな想いで描いたのか、何でそれを作ったのか、作りたかったのか、そういう話を聞いたり想像したりするのが好きだ。それがつまり僕の場合、何らかの鍵を開けることになることがよくあるからだ。

「鍵」は、人との出会いであり、時に学問であり、本であり、スポーツであり、映画であり、宇宙であり、道端に咲いた花でもある。

そういえば、最後に「道端の花」を見たのはいつだろう?

と、またしても、このブログという発信場所が鍵となって、小さな箱が新たに開いたようだ。何だかうまくまとまらない文章になってきたが、今日ここにこれを残すことが、次の新しい扉を開く鍵となりえるだろうからまあ、いいだろう。

鍵。何だかこの鍵のことを想うと、この世界が宝島のように思えてしまう。みんな宝の箱を持っているのに、自分では開けることができない。鍵を探しに外の世界へ行く。何だか「青い鳥」の話みたいだ。

さて明日は、どこへ行こうか。
# by KazuFromJP | 2005-01-18 00:44 | ゲーム『人間』
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4日前、道を歩いていた時に不図、春の香りを感じた。「春の香り」なんてよく聞くような言葉だが、実際にそれを感じたことは今までなかった。

あたたかくて、やわらかいその風が頬に触れた瞬間、
「あ、この風は―。この香りは―。」
と思った。その風は、僕がニュージーランドにやってきた頃の、今では遥か昔のことのように感じられるその日々を、やわらかく思い出させた。

日本で「春」と言えば、「別れ」と「出会い」の季節だ。激しく移りゆく景色を目の前にして、一年前の風景をしみじみと思い出す余裕などはない。少なくとも僕はそうだった。学校に通い、3月に同級の仲間と別れる時には、一年前の4月にどんなことを感じていて、クラスメイトとはどんな風に話をしていたのかなど振り返ることなどほとんど無かった。そんな時季に振り返るのは大抵、ごく最近のできごとだった。

僕はニュージーランドにやってきてから、何度も過去を振り返り、未来を覗き、それでいてその瞬間を生きてきた。今から一ヶ月前には、僕はブレナムという田舎にある広い農場で一日中働いていたのだが、そのことはもう、半年くらい前のことなんじゃないかと感じるほどその記憶は遠い。しかしそれでいてその記憶は鮮明だ。ニュージーランドにやってきた頃のことは、もう、3年くらい前のことなんじゃないかと思う。それでもやはり、その頃のことはよく覚えているのだ。

実は、それ以前のことはよく覚えていない。はさみで切って落としたかのように、昨年10月の記憶は、ある瞬間から突然始まっている。切り落とされた側は点々とどこかに散らばっていて、手元に残った側は、その始まりから鮮明に、今この瞬間まで繋がっている。

その始まりの頃、自分の弱さや小ささを互いにさらしながら、共に生きた仲間たちはもう、ここにはいない。ああ、僕ももうここを離れるべきだな、なんてことをいま感じている。あの、「春の香り」を運んだ風が、僕にそういうことを感じさせたのかもしれない。たぶん、もう一年ここで暮らし、また新しい春がやってきても、この、「春の香り」を感じることは決してないだろう。ここはもう、僕の居るべき場所ではないのだ。

"It's always changing every seconds, and so the sky is always a perfect sky, and the sea as well." ="Illusions" by Richard Bach=

空や海が美しくあるためには、毎秒変化し続けなければならない。この一年間、僕にいつでも変化のきっかけを与え続けてくれた「ニュージーランド」もそろそろ、その効力が衰え、最後の力を振り絞ってその、「春の香り」を僕に届けたんじゃないかと勝手なストーリーを描いてみる。そして、では次は何を、どの道具を利用して変化だか進化だか退化だかを続けていこうか、などと考えるのはゲームのようで楽しい。

「一年間」という期間は、僕にとって長過ぎず短過ぎず、ちょうどよい期間だったと思う。来年の10月に僕がその、「春の香り」を感じることはないと思うけれど、それに代わる、マイルストーンみたいなものが、自分で開いた道の上にはきっと訪れると思う。

4日前の「春の香り」は、僕にそんなことを考えさせた。
# by KazuFromJP | 2004-10-05 18:36 | ゲーム『人間』
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今日、いろんな人のウェブログを覗いてみた。そして思った。中傷と否定の境界線って、どこにあるのだろう?

「何言ってんだあいつは。バカだ。頭悪い。」
これは中傷。

「あの人はああ言っているが、私はそう思わない。」
これは否定。

このインターネットの世界で、言葉を残していくというのは一体どういうことなのだろう。この世の中には、自分と違った意見を持った人がたくさんいる。これは誰もがよく知っている。その中で、ひとは自分の存在を、「自分はこうなんだ」と、アピールしたがる。それは自然なことだ。そして、自分は「こう」だと他人に説明する時に一番手っ取り早いのが、「比較」。意見を述べようとしている自分は「人間」だから、「比較」の相手も「人間」となることが多い。
「あの人はこう言っているけれど、私はこうなんだ」と。

最近、日本のニュースにはいろんな「悪者」が登場しているらしい。僕はその、「悪者」になっている人たちのことを詳しくは知らないけれど、大勢の人が、「あいつは頭がおかしい」「何も分かっちゃいない」「どうしようもない奴だ」なんて言っているのを見ると、「へー、そうなのか」と、ちょっとでも思ってしまう。

と思ってしまう一方で、知らない誰かが、何だかいろんな人たちから悪く言われているのを見ると、まあいい気分はしない。その「悪者」になっている人は、社会の「和」とか「公平」とかいうものを乱したりして、たくさんの人たちの心を不快にしているのかもしれない。けれど、否定すべきポイントは、その人自身ではなくて、その人の持っている意見のほんの一部だということを、僕たちは熱くなりすぎるとしばしば忘れてしまう。

とりあえず「悪者」とされてしまっている人のすべてを、メディアから「彼」を知った人たちは、知ることなどできない。その「悪者」の人が、実は先週、
「トラックにひかれそうになった磯野さんちのタマを助けました」
昨日は、
「マンションの屋上から身を投げようとしたのび太君を説得して止めさせました」なんて事実があったとしても、僕らはその事実を知ることができないのだ。

インターネットでの発言は、街角で交わされる他愛無い会話とは少し違う。インターネット上の言葉は、そこに残されていく。街角で交わした言葉がもし、その場所に残されてしまうとしたら、もしかしてそこを通りかかるかもしれないその「悪者」の人やその人を大切に想っている方々をおもい、「あいつは頭がおかしい」だなんて言いにくいだろう。

「言葉の暴力」という言葉がある。一方で、「表現の自由」という言葉がある。「給湯室での噂話に癒し効果」というニュースを読んだことがある。「第三者への悪口を交わすことによって、ヒトは仲良く話すことができる」というちょっと哀しいが、一つの事実を経験から知った。誰かの悪口は、時と場所によっては、誰も傷つけず、それどころか幸せにすることだってあるというのも一つの事実だ。

「時と場所」。インターネットの中にもいろんな場所がある。その中で飛び交う「中傷」と「否定」。熱くなっている時に、「これは中傷か否定か」と、自分を客観視するのは難しい。客観視し過ぎるといつの間にか熱が醒め、言葉から魂が抜けてしまうこともしばしばある。

僕は最近、「目的と手段」についてよく考える。意見をする「目的」とその「手段」。ここで「手段」は、既に決まっている。ウェブログというインターネットワールドだ。そこで発言する「目的」は何なのか?

「誰かを悪く言うことによってひとの上に立つため?」
「自分とはこういう奴だ! と、その存在をアピールするため?」
「発言という発信によって自分を成長させるため?」
「自分の知識を多くの人と分け合うため?」
「自分って物知りでしょ、ということをアピールするため?」
「第三者の悪口を言い合うことによって仲良くなるため?」
「とにかくこの思いをどこかでぶつけたいという欲求を満たすため?」
「こういう意見もあるよ、てことを紹介するため?」
「自分が嫌いな誰かの評判をとにかく落とすため?」
「自分はこうだけど、あなたはどう?っていう問題提起のため?」

あなたがインターネット上で発言する時、その「目的」は何ですか? その目的のために、インターネットという場所は適切な「手段」ですか?

ところで今日、僕がここに言葉を残した「目的」は何だろう?
# by KazuFromJP | 2004-09-22 20:50 | ゲーム『人間』
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これは以前、ミクシィというところに書いた記事にちょっぴり修正を加えたものだ。


―もう10ヶ月も前のことになる。ワナカ湖に立ち寄った時、鳥を見た。そして思った。
「こいつらは『人間』じゃない」と。
鳥たちの人生(鳥生?)とは何なのだろう? ひたすらえさを求めて飛び回っている。または人間が投げるのを待っている。僕はそんな人生を送りたくはない。でもヒトの人生も謎だ。一体何なのだろう? そんなことは随分昔に考えたことだが、いつも何度でも改めて考え直してしまう。

湖のほとりに咲いている花を見て不図かんがえた。花は動くことができない。しかし、移動しなくとも生きていける。ヒトは移動できる。しかし、移動せずには生きてゆけない。移動できるということは優れていることだと、常々考えてしまいがちだが、移動せずに生きてゆけるというのもまた、優れた能力であると、不図おもった。

湖のほとりの芝に寝転んで逆さまに湖を見た。そのVIEWは、空が天球であることを語っていた。いつも、ふつうに景色を撮影したり絵に描いたりする時、景色の裏や上にある青空は、壁のような存在として捉えがちだが、空はいつでも球体で、壁と天井の境目などはないのだ。

リチャードバックの「かもめのジョナサン」を、ピクトンという港町で読んだ。その日、青空の中を舞っていたかもめは、とても輝いて見えた。僕はそのかもめの中に、『人間』を見ていた。

そこで見たかもめはまるで、
「カモメとは、自由という無限の思想であり、また“偉大なカモメ”のいわば化身であって、体全体が翼の端から端まで、君らがそれと考えるもの以外の何ものでもないことを理解しなければならん」
という「かもめのジョナサン」で語られていた、一見わけのわからない言葉を理解しようとして空を舞っているかのように、僕の目には映った。

ヒトは自分の持っていない能力を持った他者に、尊敬や好感、嫌悪や恐怖などを感じるものだが、そこでいう能力の優劣は、それを見る角度や価値観によって逆転する。花とヒト、ヒトと鳥、動けるほうが面白いのか、動かないほうがたくましいのか、えさを待っているほうがかしこいのか、自由に青空を舞っているほうが格好良いのか、そんなことを考えて生きているのと気にしないで生きていくのとで、どんな風に違った景色に出会えるのか。また、この場所でひたすら心の叫びを書き続けるのといろんな人たちの叫びをひたすら聞きに出かけるのと、そのどちらにどのような光が見えてくるのか。

文体が激しい感じになってきたので穏やか系でまとめるとしよう。

花も鳥も空も湖もそして人間も、みんな素晴らしいね。学校では数字の大小ばっかり気にするように教育されたけど、3時間と3メートルはどっちが長くて素敵で美味しいのかなんて答えはたぶん見つからないし、この世界にはそういうことがいっぱいあるみたいだから楽しいね。そしてそんなことを考えて楽しんだりもできる、「人間」は素晴らしいなってまた喜んでしまう。そこでまた「人間」って何なのだろうというところに戻るとまた激しい感じになりそうなのでこの辺でやめておこう。
# by KazuFromJP | 2004-09-17 18:30 | ゲーム『人間』
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昨日、一挙に2倍に増えたカウンターを見て、「これはまたあの人の仕業だな」と思い、その人のページを覗いてみたらやはりそうだった。

Hisakazu Hirabayashi’s Blog


というわけで、今日はその、平林久和さんについて書くとしよう。ちょうどこれからの数日間はそちらから訪れる人が激増するはずなので、今日も雲は上昇しているのだが、そっちの方々が興味を持つような話をするのもいいだろう。敬語禁止と僕が勝手に決めたこの場所でその人のことを書くのはどうかとも思うが、まあ書いてみるとしよう。

時は2001年春。高校の卒業式を待たずに上京した僕は、人生で初めての仕事と独り暮らしを同時に始めた。東京八王子にある専門学校に通うためだ。僕はゲームプランナーになりたかった。しかし、生まれて始めて浴びた社会の風は厳しく、仕事と学校がどうにも両立できなくなっていた僕は、半年も経たぬうちに、学校を辞めようと決めた。

そんな時、平林久和さんが教室に現れた。その業界のことに疎い僕は、その人がそっちの世界では名の知れた人なのだということを全く知らなかった。ただ、初めての講義で、
「これはちょっと今までの授業とは違うぞ」
と思った。それまでの授業では「受信」ばかりしていた。まあ当然だろう。よくわけの分からん横文字や数字をノートにとり、言われるままにタイピングして、何が目的なのかもよく分かっていないままパソコンに向かって作業を続けていた日々。ちょうどそんな時、平林さんはふらりと教壇に現れ、僕に「発信」のチャンスを与えてくれた。

最初の授業。出された課題は二つ。その一つは確か、あなたが知っている素晴らしい世界だか何だかを熱く語ってくれだとかそんなものだった。そこでまず僕は、大好きなテニスについて書いたりした。そしてもう一つの課題が、「あなたが作りたい夢のゲームの企画書」というもの。その時、C言語だかなんだか知らないがどっかの外国語の中で5ヶ月間息を潜めていた僕の思いは、長い眠りから目覚めた火山のように噴火を始め、それはなかなか収まらなかった。「表現の自由」という言葉があるが、まるで僕はその瞬間に、それをやっと獲得した市民のようだった。

その授業は、そう、小学生の頃に大好きだった国語の時間に似ていた気がする。その時僕が提出したのは、「家庭崩壊」というゲームの企画書。全く予期していなかったことだが、次の授業で平林さんは僕の提出した「家庭崩壊」を全員の前で発表し、これ以上ない言葉で褒めてくれた。思えばあの日から始まり、つい先日のことまで、僕は今までに何度、あの人に褒めてもらい、そのたびにパワーを得てきただろうか。

あの日の出会いから、僕はまるであの人の宗教に入信したかのようにその言葉をただただ信じて、2年間の学生生活を送った。MOMA展が良いと言われれば上野の美術館まで足を運び、アムラックスでトークショーをすると言われれば仕事の休みをもらって池袋まで行った。本をいっぱい読めと言われたので、高校時代まで読書という読書はしてこなかった僕が、今では「趣味=読書」と書くようになった。自分のクラスの授業はいつもサボっていたのに、平林さんが一学年下の授業に来るという話を聞いてはそっちに紛れ込んだりもした。最後に会ったのは初台にある小さなライブハウスで、ラジオ番組の公開収録みたいなのがあった時だ。その日、僕はちょうど放送業界に就職が決まり、その事について平林さんに話を聞いてもらった。

その後僕は、結局就職せずに、いろいろあってニュージーランドに飛び、NZ生活も10ヶ月が過ぎた。今では、「平林教」でない、自分なりの宗教というか、哲学も徐々に確立しているつもりだ。自分の夢に近づくために、どこに行き、何を、どうするのがよいのか、自分でいろいろ模索して、それらを実行できるようになった。

毎日のように思い悩んでいた2年間の学生時代が確かにあったが、今ではゲームを企画するかのように、自分の人生というゲームを企画するのがとても楽しい。「趣味=人生設計に関する脳内会議」と書いても嘘ではない。そんな風にのんびりと構えて今を過ごしていられるのも、あの日の、平林さんとの出会いがあったからこそだ。19歳~20歳という、迷宮のスクランブル交差点に直面したその時期に、どこかペテン師的な香りもする魔法の言葉でいつも僕を騙しながら、その教えを説いてくれたことを、僕はいつまでも感謝したい。また今でさえ、僕が発信するあらゆることを、まるでどんな暴投でも体で受け止めるキャッチャーの如く、いつも受信してくれていることも、本当に感謝している。

発信。僕だけではない。きっと最近の若者はみんな、発信の場所を求めているのだと思う。学校では、明らかに受信の時間が多い。そんな中、僕が発信するきっかけを得られたのはすごく幸運なことだと思う。そのおかげで今では、
「誰も聞いていなくてもいいから自分のために発信し続けよう」
という開き直りさえできるようになった。

今はただ、落ちているボールを拾ってはあっちこっちに投げているだけの僕もいつか、あの人のような、優秀なキャッチャーになれるだろうか。
# by KazuFromJP | 2004-08-13 05:31 | ゲーム『人間』
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最近、空を見る時間が増えた。僕がいま住んでいるところは、山々に囲まれた深い入り江のほとりにある。そのせいだか何だかはよくわからないが、ここでは雲がしばしば地上まで降りてきて、まあそういう時は完全な曇りとなる。午前中にそういう曇り方をする時は大抵、午後になると気持ちが良いほど晴れる。僕はここに住み始めて2ヶ月が経つが、来た当初は、大した風もないのに朝ここを覆っていた雲はどこに行ったのか、と不思議に思ったものだ。

ある晴れた午後、何キロだか海岸沿いの道を走った後、地面に寝そべって空を見つめていた。丁度自分の真上にひと塊の白い雲が浮かんでいるのをぼんやりと眺めた。その雲は、北にも南にも、東にも西にも、どこに流れているわけでもなく、ただ、上昇していた。どんどんその雲が、僕から遠ざかって天高く昇っていくのがわかった。そのムービーはとてもすがすがしいもので、僕の心をクリアにした。

日本で生活していた頃は、「雲は横に流れていくもの」という思い込みみたいなものがあったが、それは確かに上昇しているし、下降だってする。その日に見た雲は大した大きさではなかったのだが、もしかしたらその雲は、その日の朝にこの地域を覆っていた雲だったのかもしれないと、後になって考えた。

確かに、大きな雲がずっとこの地域に留まっていたとしても、高いところにそれが昇っていってしまえば、空は晴れる。むかし学校で習った、飽和水蒸気量だとか気圧のどうのこうのとかいう無駄知識が、長い歳月を経て、ほんのり役立つ時が来たようだ。

……主に、日中の雲は上昇し、日没後は下降してくる。今は南半球にいるので、太陽は北を回っているのだが、北側に山がそびえているここでは、大体3時過ぎには日が隠れてしまう。日が隠れると、この辺りの気温は急に下がり、それに伴って空気は水滴になり、気圧が下がる。地上だけ先に気圧が下がったわけだから、そこに気圧差が生じて下降気流が地上に雲を運ぶ。

いま僕が住んでいるところの庭には露天温水プールがあるのだが、入る時間帯によってそれぞれ異なった空を楽しめるのが面白い。僕が覚えていた無駄知識の正確さのことは何とも分からないが、いくらそういう知識をいっぱい蓄えていても、日本の社会で暮らしていると、それらを楽しみに結びつける能力は衰えてしまいがちだとしばしば思う。

先日はきれいな満月が見えたので、夜中に2時間ほど、そのプールに浸かりながらずっと空を見上げていた。ちょうど、月が空の一番高いところに届く頃、僕の視界には空しかなかった。月は、何にも邪魔をされることなく気持ち良さ気に、その空を我が物としていた。地上よりずっと広いはずの空だが、月がビルの間で窮屈そうにしている場所では、その本当の広さを実感することはできない。その日、月に挨拶するように傍をかすめていったいくつかの雲も、まるで広い空を優雅に泳いでいるようで、すがすがしく思えた。プールに浮かぶ僕の身体を置き去りにして、僕の魂はいつの間にか雲の上にあった。その瞬間も、いづれ過去という思い出の渦に溶けていく事になるというのが、何だかすごく不思議なものだと思った。

先日、親友のゐわおからメールが来た。面白いもので、奴も同じく最近、クラウドウォッチングで楽しい時を過ごしたらしかった。今回の文章は、ゐわおへ返したメールの続きとして書いたつもりだ。

僕は以前、過去にお世話になった恩師の誘いで、ミクシイというちょっと不思議なインターネットワールドに参加し、そこでいくつか記事を書いていた。しかしそこは中途半端に閉じた世界で、そこで文章を書いていく自分が妙な存在に思えてきたので、せっかくの招かれた場所だったが僕は実質的に脱退したような状態になった。で、まあいろいろ理由はあったがここに新しく日本語で文章を残す場所を作成したので、以前ミクシイで書いていたようなことをここで書いていこうとさっき決めた。

ミクシイで最初の記事に書いたことをここでも書きたい。その恩師というのは、平林久和さんという、ある業界では名の知れた方なのだが、まあ僕の友人の中で知っている人は少ないだろう。僕が専門学校に通っていた頃、平林さんが講義の中でよく言っていた。
「発信し続ける人間になれ」
と。僕はここで、日本語で書く価値のある文章を発信し続けていくつもりだ。何かを誰かに発信し続けるということは、その相手に自分を見てもらえるというだけでなく、それによって物事に取り組む意欲が生まれ、相手が何も期待せずとも自分は成長していけるのだと最近よく思う。実際に誰が聞いていようがいまいがそんなことはどうでもいい。それよりも、誰かに向けて発信しているんだと僕が思い込むことで、僕は文章を書く力を得ることができる。英語日記もそうだった。

とりあえずここの場所を作って一週間たつが、一日三人くらいは訪れてくれているようだ。ここで自分の為に何かを書きながらも、誰かの気分を良くも悪くも変えるようなものを残していきたいと思う。とりあえず今日はそんなところ。
# by KazuFromJP | 2004-08-04 14:00 | ゲーム『人間』
日本語を読めるみなさんこんにちは。僕は今年の五月から、ウェブログというインターネットで公開する日記を英語で続けてきましたが、今日からたまには日本語の文章も残していこうかと、不図思い立ち、いま日本語でごあいさつなどを書いているところです。

僕がウェブログを英語で始めた理由は、ニュージーランドで知り合った大切な人たちとの交流と、僕自身の英語の勉強の為でした。また、僕の生存が四六時中きになっている何名かの、心配性の方々へ向けた生存報告としても大いに役立っているようです。

僕はそのウェブログで自分の生活を毎日報告していたので、温かい心配性の方々からのメールは届かなくなったのですが、僕がメールをほとんどしなくなった為に、英語の嫌いな数名の方々からいくつかの温かい苦情メールをいただくようになりました。それでもやはり、自然の中に身を長く置いておきたい僕は、頻繁にメールを返信するのが面倒なので、ここに日本語のウェブログを作りました。また、日本語を学んでいる方も何名か知っているので、これが彼らの勉強に少しでも役立てばとも思います。

今のところこちらの日記を毎日更新するつもりはありませんが、コメント欄はときどきチェックしようと思っているので、日本語でお話ししたい方はこちらにどうぞ。メールよりも早めの返答をするつもりです。

それから、ここでもコメントのルールを僕が勝手に作ります。英語のウェブログでは、日本語でのコメントを禁止しています。ここでは、敬語でのコメントを禁止しようと思います。僕は今回の文章を丁寧語で書いていますが、それは今回限りです。僕は個人的に、インターネット上で交わされる敬語の会話が好きではありません。敬語で会話をしているのを見ると、誰もかもみんなが、同じ顔をしているような、気持ち悪い感じがするからです。日本語でなくても、英語、韓国語、中国語、ドイツ語、アラブ語、スペイン語、スワヒリ語、マオリ語など、何を使って下さっても構いませんが、日本語を選んだ場合は、敬語は避けてください

僕がメールでも英語を好んでいるのは、日本語のような堅苦しさがないからです。僕はここに、年輩の方が登場しようが、恩師だろうが、村長だろうが総理だろうが天皇が登場したとしても、砕けた日本語でコメントします。ここは僕の作った世界なので予めご了承ください。僕は特に、方言を歓迎したいです。大阪弁、広島弁、佐賀弁などなど、方言でコメントしてくれると嬉しいです。

→追記:敬語の優しさ温かさ美しさも味わいです。

長くなりましたがごあいさつはそんなところです。コメントできるような文章をここで僕が書いていけるかわかりませんが、英語版ともどもよろしくお願いします。それではまたのちほど。ちなみに僕の名前は山中一弘です。

妙な日本語をタイトルに使っていますが、今日は2004年7月22日です。Hiro, Yayoi, and Naoko、お誕生日おめでとう。
# by KazuFromJP | 2004-07-22 10:32 | ゲーム『人間』
★日齢計算機★

2006年の記事
◇不急不止の心
◇実は成長直線。
◇オープンマイストーリー
◇障害を活かしてみる

◇味わうこと
◇ワガママな涙

◇16才
◇温かい場所
◇ひねりだすこと
◇知識
◇捨てること
◇ブランコ
◇自分のルール
◇自信に満ちた
◇春に浸りすぎたので冬。
◇少し遠く
◇不要そうな時間の重要性を考えてみる。

◇どこでもドアのこちら側
◇ありが
◇誰にもわからない場所で
◇扉を開けるとき
◇春の日感謝の日。
◇ブルドーザー感謝の日。
◇アメンボだって

◇別れの季節
◇続けていくひとたち。
◇「新発見」の発見

◇VS風邪。&夢。
◇劇画な横顔。
◇音を消したい日
◇冬の小川も

◇正々堂々。
◇冬はツトメテらしい
◇悪口よりも感謝の言葉が聞きたい。
◇堂々と逃げてみる。
◇よく晴れた朝。
◇とあるメッセージ
◇ちょっとだけ、ていねいに。
◇やさしい自販機
◇背番号26
◇怪しげなセミナーを脱出して90分後の今。
◇アクティブフィーバーの対流
◇イメージを味わう。

2005年の記事
◇太陽の水
◇日齢普及委員会
◇やはり人間なのかと
◇食糧と屋根と
◇105円のクリスマスプレゼント
◇大根とともに消化していった瞬間。
◇それでも日々は続いてゆくのだ。
○ナゲヤリ中途半端シリーズ
◇お掃除するひと。
◇感謝と共に生きてゆく。

◇避難場所。
◆8500日目から8505日目の間に。

◇少言多行と書いた―

◆見下す時の劣等感
◎日記葉月

◎日記文月

◎日記水無月
◇ボクシングライフ
◇時は満ちた。
◆やっぱり夢より味わいライフ
◇友達100人と共感の味わい
◇就職活動のエンディングテーマ
◇味わいライフスーパー
◇感謝交換ゴッコ

◇活字に溶けて流れ込む
◇ただ、行為の跡が残っていく
◇Dearゴキブリ1号
◇70年代
◇喫茶店感謝の日。
◇感謝記念日。
◇異物が映す自分
◇現在完了進行形の味わいライフ

◆10秒前にロードされたゲーム
◇上勝町の宝物

◇個性
◇ゲーム「人間」の行方

◆Ms.ホームレス
◇ドラマかゲームか
◇三年日記

◇鍵

2004年の記事
◇春の香り
◇中傷と否定
◇花鳥風月
◆Mr.平林久和
◇空
◇ごあいさつ


感謝リンク
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BY山中一弘
# by KazuFromJP | 2004-07-21 12:00