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岸見一郎先生の新刊『幸せになる勇気』が昨日発売された。今やミリオンセラーとなった『嫌われる勇気』は2年前、ほぼ1年近く毎日僕の通勤カバンに入っていて、たびたび僕を突き落とし、そして何度も、勇気づけてくれた本だった。
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岸見先生にはとにかく感謝の想いが溢れている。「感謝」とか言いつつも、我先にアマゾンにレビュー書いて目立ちたい欲と、わずかでも宣伝して岸見先生に貢献したい欲と、純粋に楽しみにしていた本を読み進めたい欲とが入り混じったカオスな状態でページをめくっていたら、何だかいつの間にか本書の中の論争に呑み込まれ、何だかよくわからない精神状態からふと脱した頃には、窓の外が明るくなっていた。

で、久しぶりにアマゾンにレビューを書いたのでここで同じものを紹介したい。
以下アマゾンに寄稿したレビュー貼り付け
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理論はわかった。けど、「実際どうなのよ?」というモヤモヤに、あの青年が勇敢に切り込んでくれる爽快感と、哲人に斬り落とされていく快い痛み。

ミリオンセラー『嫌われる勇気』の続編。であると同時に、岸見氏がこれまで出してきた数々の著書の、ベスト盤のような印象も受けた。

      ◆

教員になった青年が直面しているリアルな問題は、誰もがかつて経験したことあるであろう教室での出来事であり、それが読み手の過去の経験と結びつきやすく、情景が目に浮かぶ。そして語られる問題に対するアドラー的対処法とその観点は、相変わらず我々の常識をあっさり飛び越えて混乱させてくるわけだが、そこにあるのは快感の伴う混乱である。

例えば問題行動を起こした子どもに対する親や教師が取るべき行動。現代社会においては一般に、子どものとった反社会的行動に対して、叱責するのがその務めとされるだろう。が、アドラーは「裁判官の立場を放棄せよ」「叱責は暴力である」という。そして叱責という暴力を用いることで親や教師は子どもからの尊敬を失う。「叱責には子どもの為」という見せ掛けの目的の奥深くに、「子どもを自分の支配下に置くために自立を妨げたい」という目的があるという。この一見飛躍した論理の真相は、ぜひ本書にて。

      ◆

前作を読んで、一応基本的な岸見流アドラーの理論はわかったつもりでいる。前作を読んで、その時はとにかく衝撃を受けた。いやしかしそうは言っても―、

「こんな場合はどうなの?」
「こういうケースだと矛盾しないか?」
「やっぱり実社会で直面する問題に対して、万能の真理とは言えないないでしょ?」

というような、実生活に戻された我らの心に沈殿してゆくモヤモヤ成分。すごいことをあの本で教えられた気がするけれど、いろいろわかったつもりではいるけれど、実践となるとやっぱりもう少しヘルプが欲しい。そんな我らの前にあの青年が帰ってきて、

「その辺のところ、どうなのよ?」
と我らに代わって哲人に、ズバズバ切り込みを見せてくれる。

「そうそう、そこ、詳しく訊きたかったんだよ」
という絶妙なところに青年が、激しく思いの矢を打ち込む。

対して哲人相変わらず、サラリサラリと矢を交わし、その矢をバッサリ斬り落とす。切れ味鋭い哲人の言葉とその重さが響いてくる。一瞬青年の痛みを感じつつ、やがてじんわり、哲人(=岸見流アドラー)の優しさ温かさが、少し遅れて染み込んでくる。

これは前作『嫌われる勇気』に対する、壮大なQ&Aの物語であり、我々が日常で直面する具体的な場面を想定したガイドブックである。

      ◆

「勉強は子どもの課題である。子どもの課題に介入してはならない。ならば教育とはなんなのか?」

「すべての対人関係を横の関係にせよ。とは言っても、親子、上司部下、教師生徒の関係の中で、どうすればそれが実践できるというのか?」

「褒める行為は縦の関係を築くことになってしまうという。しかし実際には、褒めることでうまくいっているように見えるケースが溢れているじゃないか。そこは一体どうなのか?」

それらの答えがサラリ・グサリと語られた後で、具体的な場面を描いてテンポよく解説されていく。流れるような対話の中に呑み込まれ、同時に頭や心が揺さぶられ続けるこの様には、快痛な混乱という言葉がシックリくる。

前作『嫌われる勇気』でのキーワードが出てくるたびに、復習的に解説をさらっと入れてくれているので、今作からでも一応読み進めていける形にはなっている。しかしやはり前作を一読した上で本書に入ることで、理論の核心への理解も、物語全体を通じた面白みも、全く変わってくるだろうと感じた。

      ◆

岸見氏があとがきの中で、地図とコンパスという言葉を使われていたが、『嫌われる勇気』が地図だとすれば、『幸せになる勇気』はコンパスではないかという印象を持った。手にした2冊に勇気づけられながら、最初の一歩を踏み出して、その先何気ない歩みを続けていきたいと思った。本書を通じて繋がっている著者と読者たち、その共同体感覚から、まず思い描きながら。

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さて、ちっぽけな欲に駆り立てられた僕の行動、
夜更かし読書もレビューの寄稿も、
善でも悪でもなくただのふつうの人間の行動であり、
もう既に過去のこと。

問うべきは今から何をするか。
まあ落ち着いてゆっくり本を読み直そう。
の前に、仕事のために仮眠をとろう。

ありがとう。
『幸せになる勇気』感謝の日。
 



by KazuFromJP | 2016-02-27 06:12 | 本に感謝の日
特に何でもない日々を過ごしている。
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日々いろんな出来事があって、
そのときどきにはそれらが大きな波に思えるけれど、
1ヶ月も経って振り返ってみれば、
すべて思い出は小さな波として記憶の中に凝縮されていく。

何でもない日々を、
温かくて、心地よく感じる時期と、
冷たい虚無感の渦に落ちてしまいそうになる時期があり、
それに直面する時にはちょっとしたビッグウェーブであるが、
過ぎ去ってみれば
結局すべて大したことないさざなみで片付いてゆく。

その1ヶ月とか3ヶ月とか半年とか
そういったスパンでの波の変動の中で、
激動な海面でイカダに乗って流されてゆく自分と、
海面の10メートルほど上空に浮かんだで流れている綿雲に乗って、
イカダを眺めながら実況と解説を一人でしているような自分がいて、
そんな人生のこの時が何だか楽しい。

イカダの自分視点では、
楽しいなんて感じていられない出来事にちょくちょく直面したりしているが、
綿雲の自分視点では、
イカダの上でまぬけなパフォーマンスをしている自分を眺めているのが、
いつでも楽しい。

イカダの上の自分は、時にカッコよかったり、周囲から何だか賞賛されたりする一方で、
惨めな姿をさらしたり、周囲から責められたり、
何とも言えない空しさを抱えてイカダに身を任せたりしている。

そんなもろもろを、
「何だか人生を満喫しているよな」って感じで
10メートル上空から眺めている僕は他人事のように、
いろんな渦中の自分を眺める。

そうしていると渦中は渦中でなくなり、
何でもない日々になる。
特別なことは何もない。
ただ淡々と、漠然でありながら定まっている目的地へ向かって、
イカダを進めていく。

それでいいんだと自分でわかっていれば、
信じていられればそれでいい。
誰かに説明することも、証明することも必要ない。
 
何でもない日々。
それが、いいなあと感じている今日この頃。

ありがとう。
今日も感謝の日。
何でもない毎日。
 



by KazuFromJP | 2016-02-16 01:17 | 今日は感謝の日