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リビングでオモチャを広げて子どもが遊んでいた。
夕食の時間になって片付けなさいと言ったが、片付けない。
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そのとき、「自分が遊んだオモチャなんだから自分で片付けなさい」
と、言ってはいけない。

再度、『嫌われる勇気』の著者岸見一郎先生の講演より。
 

アドラー心理学には、「課題の分離」という考え方がある。
「リビングにオモチャが散らかっている」
これは誰の課題なのか?
 
すなわち、リビングが散らかっていて困るのは誰か?
困るのは子どもではなく、
夕食の準備ができない親のほう。
つまりこれは、親の課題。

      ◆

では、どういうアプローチを子どもにすればよいのか。
以下、岸見先生の息子さんが3歳の頃の実際のやりとり。
岸見「そろそろ私たちは夕食の準備がしたいので、
   散らかっているオモチャを片付けていただけたら嬉しいのですが、
   いかがでしょうか?」

あくまでも困るのは親のほうなので、
子どもに片付けてもらえるようお願いをする。

息子「やーだよー」
岸見「じゃあ、お父さんがオモチャを片付けてもいいですか?」
息子「いいよ」

と、そこで岸見先生がオモチャを片付け始める。
それを見ている子どもは何を学ぶのか。

子どもはそこで、
「ああ、自分が散らかしたものじゃなくても、お片付けしていいんだ」
ということを学ぶ。

      ◆

子どもは、「大人から言われた言葉」からではなく、
「大人のやっていること」から物事を理解して学んでいく。
常に、「このことから子どもは何を学ぶだろうか」
ということを考えながら行動することが大事だと
岸見先生は言う。

      ◆

上記の話でも、
「子どもに片付けてもよいか」許可を得る前に
大人が勝手に片付け始めてはいけない。

大人が勝手に片付けてしまうと子どもは、
「無責任」というものを学ぶ。
「オモチャを出しっぱなしにしていても、
 誰かが勝手に片付けてくれるんだ」
という風に理解する。

      ◆

「自分が散らかしたものじゃなくても、片付けていいんだ」
ということを学んだ子どもは、
人が散らかしたものや、落としたゴミなどを、
気がついたら自然に拾ったり片付けたりできるようになる。

岸見先生があるお宅を訪れたとき、
キッチンのテーブルの下にスプーンが落ちていた。
別の日にまた訪問したら、同じところにまだスプーンが落ちていた。

その家では、
「出したものは出した人がしまう」
「落としたものは落とした人が拾う」
という文化ができていて、
みんな自分が落としていないから、
スプーンが気になっても拾おうとしない。

毎日心の中で、「誰が落としたんだ?」
と気にし続けるくらいならさっさと拾ってしまえばいいのに、
そうなってしまう。

アドラー的に言えば、スプーンが落ちているのは
「落とした人の課題」ではなく、
「落ちていることが気になる人の課題」となる。

      ◆

だから、リビングにオモチャが散らかっている状況では、
親が子どもにお願いして片付けてもらう。
片付けてくれなかったら、
許可を取った上で親が片付ける。

「片付けないと、ごはん無しよ」
みたいに大人の権力を使って賞罰教育をしてはいけない。
無理に規律を守らせ、子どもの自立を促そうとした結果、
結局賞罰教育の縦の関係においては、
依存から抜け出せずに、むしろ自立を妨げることになる。

      ◆

会社の従業員教育なんかでも、
賞罰教育をよくやってしまうけれど、
結局は依存関係を助長して指示待ち社員が増えるだけ。
全ての人間関係において横の関係で接することが大切だと、
岸見先生、そしてアドラーは言う。

なるほどなあと、
3ヶ月前の講演を思い出して自分で書きながらも、
ただただうなずくばかり。

      ◆
 
ありがとう。
アドラー先生、岸見先生、岸見先生の息子先生、
先生たちに感謝の日。

 
by KazuFromJP | 2014-10-30 18:18 | 人間学実践塾・ユング心理学など
Facebookに記事を書くと
早いレスポンスや承認や反論反響多くいただけることもあって、
最近はそちらに浸りがちになってしまっていたけれど、
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このブログが僕のベースだと決めているので、
Facebookに書いたもので自分でも改めて読み返したいものを
転記してまとめておきたいと思う。

      ◆

今年7月に、メンタルコーチの平本あきおさんの赤坂のスタジオで、
いま話題のベストセラー『嫌われる勇気』の著者岸見一郎先生と、
平本さんお二人の対談講演が開かれて、参加してきた。

『嫌われる勇気』は、昨年12月に手にとって以来、
今でもずーっと読み続けている、本当に愛着のある本。
岸見先生は京都の方なので
東京での講演は稀少で、一度お話をお聴きしたいと思っていたところで、
平本さんが開催してくれて本当に心より感謝。

以下その中で印象深かった岸見先生のお話より。

      ◆

保育園で保育士が、一人でボタンを付けられた子に、
「○○くん、すごいねー! ひとりでつけられたねー!えらいね」
と、ほめてはいけない。
「ほめる」は、承認欲求を満たす行為なので、
ほめられた子は、ほめられたい為に一人でボタンを付けるようになる。
が、先生が見ていないところでは一人でやらなくなる。
「先生見て見てー」
となる。
 
      ◆
 
アドラー心理学は「承認」的アプローチを否定し、
「勇気づけ」的なアプローチを勧める。
前述の場面で言えば、
「○○くん、ありがとう! ○○くんがひとりでボタンつけてくれたら、
 先生ほかの子のお世話ができて助かるわー」
というのが勇気づけ的なアプローチ。
勇気づけを受けた子は、
「自分がひとりでボタンをつけるという行為は、
先生の手を軽くしているんだ、先生の役に立っているんだ」
と理解する。
その結果、保育士が見ていない場面でも、
ひとりでボタンをつけられるようになる。

      ◆
 
ほめるという行為には必ず上下関係が生じる。
勇気づけという横の関係を築くほどに
人生は豊かになるとアドラーは言った。
大人の社会でも同じで、
現代の日本人はほめられたい、承認されたい大人が多いと
岸見先生は言っていた。
「ほめられたい」=「絶対的権威の下に置かれたい」
という気持ちの表れで、依存関係から抜け出せなくなる。
 
それは日本の賞罰教育(良いことをしたらご褒美・悪いことをしたら罰)が、
深く起因しているのだろうとのこと。
深く納得させられた。
 
      ◆

ありがとう。
岸見先生、平本あきおさん、アルフレッドアドラー感謝の日。
 
by KazuFromJP | 2014-10-12 11:01 | 人間学実践塾・ユング心理学など