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<   2005年 08月 ( 6 )   > この月の画像一覧
合唱しながらボブスレーしてくれたら
冬季五輪が楽しみになるんだけどな。
あの、無言のまま四人滑っていくのもまあ、
いいんだけどさ。
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●今日の味つけ

今日は、いわしの蒲焼きをごはんに挟んでみた。


●ゲーム『人間』の今日

一年前の今日は、
ニュージーランドのとある入り江のほとりで芝刈りしていた。

二年前の今日は、
台風に追われて長旅から生還し、
実家で部屋の掃除をしていた。

三年前の今日は
日付変更線から始まり、数時間で終わってしまった。

今日は、
今から寝て夕方起きてジムに行って仕事行って、
いつの間にか明日になる予定。

そんな物語がまた続いてゆく。

プレゼントパーフェクトコンティニュアス。
そういうゲームを生きている。


●今日も感謝の日だった気がするぜ

うっかりすると寝坊していたところで
インターホンを鳴らしてくれた
集金のお兄さんに厚く、熱くアツク暑苦しく、
今日も感謝の日。
by KazuFromJP | 2005-08-13 08:49 | 日記のような
フラフープしながら剣道するところを見たい。
やや長めの竹刀で。
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●今日の味つけ

今日は胡麻昆布。


●ゲーム『人間』の今日

今日は少しだけ早寝をして超回復。


●今も感謝の日日

雨の日にはみんな見ていないのに、
ちゃんと朝出てきて
いつものコースを回って、
いつもの場所に隠れていく
今日は雲の上にいる
お日さまに、
今日も感謝の日。
by KazuFromJP | 2005-08-12 09:20 | 日記のような
ジェットコースターに乗りながら
一句、詠んでみたいものだ。
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●今日の味わい

空港のエレベーターに乗ってみた。
一人で乗り込み、扉の方へ向き直る。
15メートルほど先に異国の男性。
こちらに向かって歩いてきているような気がする。
目が合う。
が、イマイチわからない。

乗るのか?
乗らないのか?
あと10メートル。
左手が迷う。
「<>」か、もしくは「><」か。
彼は歩く。
歩調は変わらず。
自動で扉が閉まるまで、あと、何秒!?

迷う左手。
そんな味わい。


●ゲーム『人間』の今日

一歩踏み込みながら空中で左。
着地と同時に腰をひねって右ストレート。
重心が浮かないようにすることが大事。
輪を通すようにエグるワンツー。


●今日も感謝の日

お弁当を作らない日はあっても、
水筒は毎日持っていく。
自販機の飲み物は高い。

水筒。
何だか歴史が長そうだな。
マンモス狩りにも、
水筒らしきものを持っていったりしたのだろうか。

感謝するよ水筒。
ありがとう水筒。
マンモス狩りしてた人たちもきっと感謝してるよ。
使ってたかどーだか知らないけど。

だから今日は、
水筒感謝の日。
by KazuFromJP | 2005-08-11 09:34 | 日記のような
GⅠ騎手がメリーゴーラウンドにまたがって
ムチを入れている情景が見てみたい。
高速回転メリーゴーラウンド。
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●今日の味わい

勤務中に見かけた郵パック。
大きなエリエールのダンボール。
宛先。
広島平和記念館。
品名。
千羽鶴。


●今日も感謝の日

だったんだけど長すぎて切り離した”ゲーム『人間』”のほうで
感謝したから今日はもういいや。
そんな味わい。

じゃあそんな味わいもあることに気づいたこの運命に
感謝しておこう。
by KazuFromJP | 2005-08-10 11:54 | 日記のような
「尊敬」と「嫉妬」は紙一重だが、
「誹謗」と「劣等感」も同じく、
コインのウラオモテなんじゃないかと、
最近思う。
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僕はあるモノやヒトの存在や行為に敬意を表したい時、
わざと嫉妬してみたりする。
「わざと嫉妬」が真に嫉妬なのかはどうでもいいが、
嫉妬したいほど尊敬してしまうものは、確かにある。

一方、劣等感。
万物に感謝することは僕にとって大切なことだがそれでも、
心の内側で何かを誹謗することはよくあることだ。

そんなとき思う。
「これは何なのだろうか」と。
そこに当てはまる言葉は、
「劣等感」だった。

上も下も、勝ちも負けも優も劣もなくて、
色即是空で悟りなんてものもなくて、
実は色即是空なんてものも存在しない。
僕はそういう根本思想で日々生活しているから、
劣等感とかあるのは変な気がするんだけど、
あれはやっぱり劣等感なのだ。

それをよく思うのは、
テレビをつけて、報道番組がやっている時。

報道番組では大抵、
「イイコト」「ワルイコト」、「イイヒト」「ワルイヒト」が
はっきりと決められている。

テレビの中で感想を述べる傍観者たちは、
「カガイシャ」と「ヒガイシャ」がいる場面でいつも、
「カガイシャ」がいかに悪いヤツかを大げさに話し、
「ヒガイシャ」がどんなに「カワイソウ」で「ステキナヒト」かをアピールする。
その両者のことはついさっき、耳から知っただけで、
直接会ったことなんかないくせに。

こんなことを心の内で思う僕は、
確かにそのテレビに出ている人たちのことを誹謗しているのだ。
僕だって、その人たちをテレビで数分だけ観て、
直接会ったことなんかないくせに。

今日ここに書くまでは心で思っていただけだからそれを、
「誹謗」と呼ぶのかよくわからないけれど、
とにかく僕はその人たちをいつも、どこかバカにして、見下しているわけだ。

でも、
上も下も優も劣もないって思っているはずなのに、
何で見下してしまうのか。

それは、
「上も下も優も劣もある」っていうことを、
その人たちがアピールして公言しているからだ。

そういう考え方、そういう人、そういう味わいがあったっていい。
僕はそう思う。
思っているのだけれど何故か、
腹が立ってしまう。

それが、「劣等感」なんだと、最近気づいた。
三ヶ月くらい前からそのコトバが立ち上がって、
それが最近実感としてわかってきた。

テレビで、
「ヒガイシャ=素敵」「カガイシャ=邪悪の帝王・バカ」みたいに
アピールしている人たちを心の中で見下してしまう僕はたぶん、
その人たちの「権力」に、劣等感を感じているのだと思う。

人はみんな、誰かと共感し合えたとき、
共有する考え方を持っている人に出会えたとき、とても嬉しい。

テレビの人が巧みな言葉で、

「ヒガイシャ=素敵」★「カガイシャ=邪悪」

とかいうことをアピールしてしまったら、
今までそんな風に考えてなかった人も、
「そうだよなあ、うんうん」
とかうなずいてしまって、
「上下優劣勝敗ルール法律倫理それ全て派」が確実に増えてしまう。
そうなると、そっち派じゃない僕は、
共感できる相手が確実に減ってしまって、
共感の味わいで嬉しくなれるチャンスが少なくなってしまう。
困る。

実のところ、その僕のエゴの部分に、
腹が立ったり見下したり、心の内で誹謗する原因があったりする。
そしてそれはつまり、相手に対する劣等感だ。

このテレビの例では、彼らの公言力に対する劣等感なのだ。

しかし、同じようなことを
別の場面で言っている人に出会ったときもときどき、
腹が立ったり、心の内で見下したり誹謗したりすることがある。

電車の中で知らない人たちが同じようなことを話している場面。
話し手が聞き手を、例のそっち派に洗脳しようとしている場面。
そこで話し手を心の内で誹謗する僕は、
前例と同じく劣等感を感じている。
そこでも、彼の言葉の力に劣等感を覚えている。

その証拠に、
話し手の話術が下手過ぎたり、
聞き手がウワノソラだったりする時には
僕は何とも感じることなく、
一方話し手が、
素晴らしいテクニックで語っているほど僕は、
心の内側で激しく反論している。
やはり、共感の味わいびとが減るのは悲しいのだ。

また聞き手が、
相手の下手な話術で納得していたりするときには、
ただ哀しくなって、別な部分を見下したりしている。
その場合もまた、劣等感を感じている。
妙な言い方かもしれないけれど、
そのAさん(聞き手)の意志を決める権限を持っているAさんに対して、
その権力に対しての劣等感を感じているのだ。

誰かに何かを伝えたいのにうまく伝わらない時、
もどかしさを感じてイライラしてしまうことがある。
自分の表現力のなさとか、相手の理解力のなさとか、
そういうものにイライラしているんだけど、
そのイライラのおおもとは、
相手の脳みそを相手が支配しているという、
相手の権力に対する劣等感、
相手の脳みそを、自分にはどうすることもできないその、
「劣等感」から、イライラしてしまうのだと思う。

口論している人たちはみんなイライラしている。
みんなお互いに、劣等感を感じている。
だからみんな相手に、勝とう勝とうとする。
何かがきっかけでイライラが収まってくると、
相手に勝つことよりその口論の、
より建設的な結末について考えられるようになる。

電車の中で電話をしている人を見ても僕は、
あんまりイライラすることはないのだが、
場合によってはイライラしたり、心の内で誹謗したりすることがある。
それも同じく劣等感で、
その人の行動の決定権を僕が持っていないことの劣等感と、
周囲を気にせず堂々と電話をすることができるという、
僕には持っていないその人の性質というか能力というかその性格に対しての
劣等感なのだろうと思う。

僕はそんなことを、
駅のホームで化粧をしている女性を見たときにふと思った。
僕はその女性が、
「駅のホームで化粧をする自分」を嫌いにならないのなら別に、
化粧しててもいいんじゃないかと思った。

でも公の場所で化粧をする人に腹が立つ人はいる。
その人はたぶん、
その人自身、同じことを堂々とすることができない。
その能力というか性格を持っていないから、
その劣等感から腹が立つのだ。
それから前述の、相手の行動の決定権を相手が持っているという
その劣等感からも同じく。

@どうでもいいけど、今の段落で頭に「その」と「それ」が並んでいる味わいライフ@

小学生の頃、
自分がズルしてない、できない時、
ズルしてる相手にとても腹が立ったりした。
その腹立たしさの大きさは、
自分の、「実はズルしたい度」に比例する。
ズルできない劣等感。

「駅のホームで化粧」はどこか、
その「ズル」に似ている気がする。

僕の場合車内での携帯電話は、
場合によっては使ったりすることもあるから、
本当に自分勝手な許容範囲だけど、
ひそひそ電話している人にイライラしたりすることはない。
僕が赤信号を渡るから、赤信号を渡る人にイライラしない。
しかしそこにも身勝手な許容範囲はある。
僕はゴミを道端に捨てられないから、
捨てる人にはときどきイライラしてしまう。
でも食べカスくらいなら払ったりするから、
食べカスを払い落とす人にはイライラしない。

最近は味わいライフだとかいう考え方のせいで
イライラすることもあまりなくなってしまったけれど、
むかし腹が立ったりしたことは全て、
いま思えば劣等感だった。

ナベツネという人がメディアで話題になり、
その人に対してイライラする人たちが急増した時期があったらしい。
そのイライラした人たちもきっと、
ナベツネさんの権力だとか、
その権力を持っているナベツネさんの脳みそをどうにもできないとか
そういう劣等感から、イライラしていたのだと思う。

僕はそのころ遠くにいたので、
ナベツネさんが「悪」で「バカ」でなんて話を聞いても、
ちっとも共感できなかったし、嬉しくなんかなかった。
僕がナベツネさんに対して、イライラするはずもなかった。
それはナベツネさんが、
僕の心も身体もどこも傷つけることなく、
劣等感を感じさせなかったからだ。

「そば派」と「うどん派」は争えるし、
「タイガース派」と「ジャイアンツ派」は争えるけれど、
「そば派」と「タイガース派」は争うことができない。
何らかの嫉妬みたいなものを感じたりすることはあるかもしれないけれど、
劣等感を感じることはないからだ。

「右翼と左翼は仲間みたいなものだよ」

と言っていた人がいた。
お互いに「政治」という問題をとても大事なものだと捉えている仲間同士。
だから争いが起こる。
相手に腹が立つ。
劣等感を感じる。

僕は街なかでゴミを捨てる人を見ても、
イライラしない場合が増えた。

僕の中で、
「とても大切なこと」
と捉えるものが変わってきたからだ。

ネットサーフィンをしていると、
イライラして腹が立って誰かを見下して誹謗している人がいっぱいだ。
みんなそれぞれ、
いろんな人とか物とかに、劣等感を感じているものなんだなあ。
そしてけんかしている人たちはみんな、
同じコミュニティのオトモダチ同士なんだなあ。

正しい日本語、
学校教育、
流行の音楽、
政治の動向、
ニートとかフリーターとか、
愛とか夢とか、
環境問題とか遺伝子組み換えどうのこうのとか、
クローンとか消費者ローンなんとかとか、
戦争とか平和とか核とか、
就職とか学歴とか人柄とか人相とか手相とか、
ITとかブログとかゲームとか、
味わいとか人生とか自殺とか他殺とか、
まあ別に何でもいいんだけどただ僕は、

「味わい」を大事だと思って生きているだけ。


「腹立たしいのは劣等感」
「見下すほどに、劣等感」

そういう風に考えてみることの味わい。

でも僕は、裸の王様みたいになってしまうのが怖いから、
できるだけ感謝をしていきたい。

テレビであっち派っぽいことを公言している人たちのおかげで僕は、
自分の考え方のオリジナリティを認識できたりして、
そこにアイデンティティとかいうのがあるのかもとか思ったりして、
少数派と語り合って共感して嬉しくなったりすることができる。
そのしあわせ。
つまり、感謝なのだ。
テレビの人に。
駅で化粧してる人に。
車内で電話してる人に。
たくさんの、イライラしている人に。
世界中のみんなに。

今日も感謝の日。
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by KazuFromJP | 2005-08-10 11:50 | ゲーム『人間』
今日もここで、
思い切り呼吸ができて、
見上げたところには広い空があって、
大地が僕の足を引きとめてくれていること。
しあわせ。
感謝。
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●今日の味わい

23日振りの更新で何を書くのか。
そもそも書く必要があるのか。
などと考えてみたりすることの味わいライフ。


●ゲーム『人間』

ダンボールで土手を激しく滑り降りるみたいに、
道のないところに苦しまぎれ系で飛び込んでみるのが好きだ。

とりあえずアクションを起こしてみたら、
どこかしらにある新しい扉がとりあえず開く。

その先がちょっと気になるから、
一体どうなるかわからないんだけどまた、
飛び込んでみる。
滑り降りてみる。

扉の先に足を踏み込む時、
いつも自分に問うことは、
その先にいる自分を好きになれるかどうかだけ。

法律も倫理も人情もビジュアルも、
ただの参考書に過ぎない。

「本を読む自分」が好きになれる人は、本を読めばいい。
「ゲームをする自分」が好きになれる人は、ゲームをすればいい。

「タバコを吸う自分」が好きになれるなら吸えばいいし、
「髪を金色に染める自分」が好きになれるなら染めればいい。

「ボランティア活動みたいなことをやって
誰かに感謝される自分」を好きになれる人はそれをやればいいし、
「誰かを殺す自分」を好きになれる人は誰かを殺せばいいと、
僕は思う。

僕は、そんな風に考える僕を好きでいられるから。

僕が誰かを殺さないのは、
それが俗に言う「ワルイコト」だからじゃない。
法律で決められているからでもない。
僕は、「誰かを殺す自分」というより特に、
「誰かを殺した自分」、が好きになれないからだ。
今のところ。

多くの人は、「たくさんの人に好かれる自分」が好き。
そのために、「参考書」はしばしば役に立つ。

そんな感じのゲームを生きている。


●ウォーキングホリデイアドベンチャー

「ソロバンマスターカノ子」には、
筆ペンもぞうきんもカメラも効かなかった。
カノ子のカウンター攻撃、
「缶コーヒー&うちわアタック」で
僕は惜敗した。

「リアルゴールドなつみ」は息止め勝負を僕に挑んできた。
なつみは54秒で散ったが、
記録を2秒更新したらしく、喜んでいた。
しかしふと、何か思い出したように、

「53秒じゃったらよかったのに」(『か』にアクセントの方言)

と言った。「なんで?」と訊く僕に

「53秒じゃったら赤星じゃったのに」

と、宙を見つめながら答えた。
その瞳の先には、
まぶしく照らされたスタジアムと、
グラウンドを駆けるタテジマがあった。

「八重地ゆき」上勝町営バス車内。


●今日も感謝の日

どんなに更新をしないでいても、
いつでも見に来てくれている人がいること。
昨日も一昨日も一昨昨日も感謝の日。
by KazuFromJP | 2005-08-08 10:11 | 日記のような