人気ブログランキング |
<   2005年 04月 ( 2 )   > この月の画像一覧
b0001402_23485716.jpg
例えば、10秒前に、今の、この、自分の人生に放り込まれたと、考えてみる。

そう、ちょうど、誰かのやりかけた、ロールプレイングゲームのデータをロードしたみたいに。

その時この主人公にはすでに、いろんなアビリティやら、特殊能力やら、また、ステータス異常なんかが生じているわけだ。

それ以前に、いろんな初期設定なんかもされている。日本人。男。所持金いくら。何系のコネあり。バツイチ。子ども何人。前科何件。髪の毛残り何本。使用可能言語。移動可能地域。

10秒前、このゲームを始める時、この世界には60億種類のシナリオがあって、偶然僕は、この身体で、この運命で、そんな設定で、ゲームを始めることとなった。

そう考えてみると、結構やりがいのあるシナリオに当たったんじゃないかって気がする。10秒前、誰かに銃口を突きつけられ、正に引き金が引かれようとする瞬間から始まるシナリオもあったかもしれない。また、自身が正に引き金を引こうとする瞬間から始まるシナリオもあったかもしれない。

それらはそれらで、面白いゲームかもしれない。ともあれ僕は、この身体、この設定、この国、この時代、このタイミングでゲームを始めた。

この状態からゲームが強制終了されるまで、僕がやれることはいっぱいあるが、設定によってやれないこともある。男か女か、年齢はいくつか、国籍はどこか。単純にそれだけで、制限されることが結構ある。それに加えて学歴、職歴、家族構成、前科、五体五感の状態と、それらによってますます制限されることは多くなる。しかしその、制限こそがゲーム性なのだ。

いつどこで強制終了されるのかわからないまま、とりあえず風の吹くまま流されるのを楽しんでみたり、風に逆らって楽しんでみたり、いろんなことを試してみたりしているうちに、いつのまにかゲームは終わっているのかもしれない。

また、シナリオデータによっては「自分で何か試す」とかいうことさえできない状態で始まるかもしれないけど、あらゆるステータス異常がついた状態から始まるかもしれないけど、たった15秒間のゲームかもしれないけど、縄文時代かもしれないけど、多摩川の河川敷かもしれないけどそれでも、そこにはそのデータでしか感じることのできないゲームの世界があって、それを味わうことが、ゲームの目的なんじゃないかと思う。

60億種類のデータの中には、10秒以内で終わるシナリオが、けっこういっぱいあったと思うけれど、たった10秒で終わるゲームだって、味わいがいはけっこうあるんじゃないかと思う。別に10秒後に、それを振り返れるわけじゃないが。

このゲームが始まってしまうとその瞬間から、何かをやらなくちゃいけないような気がするが、別にやらなきゃいけないことがあるわけじゃない。ただ、ゲームを長く楽しむために、やったほうがいいかもしれないことを、みんなやろうとしているんだと思う。

やっちゃいけないことなんてのも実は、たぶんない。ただ、ゲームを長く楽しむために、やらないほうがいいかもしれないことを、みんなやらないようにしているんだと思う。

ゲームの中で、相手に勝つとか負けるとか、戦うとか逃げるとか、寄り道するとかアイテムを使うとかレベルを上げるとか必殺技を使うとか卑怯技を使うとか、いろんなプレイスタイルがあるけれども、その奥深い部分でみんながやっていることは、「味わう」ことだと思う。

ゲーム開始から4秒後に、向かって歩いてきたクリボーにぶつかって終わってしまうゲームにも、深い味わいがあると僕は思う。それは終わってしまった後に感じる、侘びの風情みたいなものじゃなくて、終わってから客観視した時にはもう思い出すことのできないあの、あと3秒後にゲームが終わることを知らなかった時に、あと2秒後にクリボーが歩いてくるなんて思いもしなかった時に、あと1秒後にそれをジャンプして避けようかどうか考え込んだ時に、それぞれ味わっていたと思われるゲームの深み、コク。

何か遠回りしたけど、僕が10秒前に放り込まれたかもしれないこの人生も、味わうために存在している気がする。僕は自分の人生を、ゲームと同じだと思っているから。たぶん、そう思い込んでいるから。

僕は先日、サラリーマンっぽい仕事をしてみようと面接に行ったが断られて、いろいろ考えていた。みんなそうなのかもしれないが、僕はいつも、人生について考えてばっかりだ。それもゲームなんだけど。こんな時はいつも、水口さんの言葉が聞こえてくる。
「直観に従いなさい」
僕は、ある程度お金が溜まったらやろうと思っていたことを、今から始めることにした。半月前に行ってきた徳林寺に電話した。
「明日から、4、5日くらいお邪魔してもいいですか?」
「ああ、はい。どうぞ。じゃあまた明日。」

テレビゲームに馴染みのない人はわからないかもしれないが、僕はRPGっぽいゲームを最近まで生きてきた。それがたぶん、「アクアノートの休日」っぽいゲームになっていくんだろうと思う。RPGは、挑戦の中に味わいがあるゲームで、味わいの中に挑戦があるのが「アクアノートの休日」だ。

10秒前以前のデータは、まあ誰か別なプレイヤーのプレイスタイルだからまあそれはそれとして置いておいて、これからは僕が、この設定で、この身体、この運命で、このゲームを始めることとなった。

6,000,000,000種類のシナリオの中のひとつ。

まだゲーム始めたばっかだけど、仕事ないけど、金もあんまり残ってないみたいだけどとりあえず明日、名古屋に行ってこよう。
by KazuFromJP | 2005-04-24 23:37 | ゲーム『人間』
b0001402_23162232.jpg
僕は徳島県上勝町で、彼らの宝物を見た。

さっき、NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」という番組をみた。上勝町に、糸井重里と笑福亭鶴瓶が取材に行き、同町に住むお年寄りのパワーと、それを生み出している町の仕組みに驚くという内容だった。

僕は先月、上勝町ワーキングホリデーというのに参加してきた。そのせいかもしれないが、最近いろんなところで上勝町の名を見かけるようになった。その時にお世話になった受け入れ農家の方も、「確かに上勝町は、メディアへの宣伝の仕方が上手いと思う」と言っていた。

さて今回の番組でもそうだったが、上勝町、元気なおばあちゃん、とくれば「いろどり」という葉っぱを売っている会社のことがまず出てくる。そのことについては、わかりやすい文章で、かなり熱く語ってくれている方がいたので勝手にリンク&トラックバック。

上勝の男。(徳島ではためく社長のblog)

都市部にいると、人が多すぎて、人がゴミのように扱われたり、また、電車に詰まっている人なんかは、ゴミのように見えたりする。時々、自分の存在がゴミのように思えたりもする。

一方、そのワーキングホリデーというのに参加した僕らは、まるで宝物のように扱われた。初日、農協の大広間に集まった時、やってきただけで感謝され、靴を脱ぐのにも、荷物を置くのにも、腰を下ろすスペースを探すのにも気を配ってもらい、いろんな親切を受けるたび、すごく温かくて、嬉しかった。しかしその親切を受ける僕の心の奥には、「まちおこし」とか「移入者募集」とかいう言葉が沈んでいて、「まあ、よいまち、温かいまちに見られるようにがんばるのも当然だろう」というような、どこか腕組みした心で、高い目線でその親切を受けていた。

しかし僕はやがて、彼らがどんな目で僕ら、そしてこの世界を見ているのかに気づいていくにつれ、目線が高くなったり低くなったりしている自分を恥ずかしく思うようになってゆく。

上勝町の人たちは、各地から働きにやってきた僕らを、心から歓迎し、その本心から宝物のように思ってくれていた。彼らは同時に、彼らのまち、山、生活、空気、隣人、家族、そして彼ら自身を、宝物のように思っているようだった。現に「いろどり」という会社では、上勝の葉っぱを売って商売し、都市部では厄介者扱いされているお年寄りの方々がここでは、町の財政を潤す宝物なのだ。

上勝町では、ゴミを34分別し、80パーセントのリサイクル率らしい。そして数年後には100パーセント、つまりゴミをゼロにする計画なのだそうだ。都市の生活では、何でもそろっていて、モノが溢れていて、便利な暮らしをしている気がする。けれど角度を変えて見れば、そのほとんどがなくてもいいものばかり、ゴミばかりで、ゴミに囲まれた生活をしている。そんなことには気づいているが、では、一体なにが必要なものなんだろうと考えてみると、何だかわからない。部屋の中、町の中を見渡してみて、どれが必要なものだろう? どれがゴミ? どれが宝物? それを僕は、とっさに見分けることができない。

上勝町には、宝物しかなかった気がする。ゼロウェイスト(ゴミゼロ)運動の極地に達すれば、本当にそうなるんじゃないかと思う。彼らは、たくさんの宝物に囲まれて暮らしていた。彼らの周りにあるもの、それらははっきりと、「必要だ」、「大切なものだ」と思えるものばかりだった。

今僕が、ノートパソコンに向かってタイプしていると、アパートの2階の部屋から物音が聞こえる。一度だけ、挨拶をしに行ったときに顔を合わせた男性が住んでいる。しかし僕にとって彼は、また彼にとって僕は、そこにいてもいなくてもいい存在なのだ。半径3.5メートル以内に、お互い長い時間存在しているのに。一方上勝町では、数キロ離れた隣人が、お互いに宝物なのだ。

大自然の中を歩くと、自分がこの世界の中で、ずいぶんちっぽけな存在なのだとしばしば思う。けれど、大都会の中を泳いでいる時に感じるそれとはかなり違う。大自然の中では、自分がいかに稀有なものなのかをそこで感じ、大都会の中では、自分が、量産された人間とかいう品種の、たった一粒にしか過ぎない虚しさを感じる。似たようなものがあり過ぎて、一体自分は何が好きで、楽しくて、美味しいのか、わからなくなることがある。

そんな世界の中で、僕はありふれたモノの中の何かを、神のように過大評価したり、また別な何かを、思い切り見下してみたりする。偏見や先入観があっさりと作られ、あらゆるものに接する時僕は、心の中でひざまずいて見上げたり、腕組みして見下ろしたりする。そんな人間が、宝物に囲まれてのんびりと暮らす人たちと接するのは、何だかすごく恥ずかしかった。

ニュージーランドでクリアにしてきたはずの僕の価値観は、まだまだ曇って濁って傷だらけで、上勝町の空気は、そんな僕のレンズを柔らかく磨いた。その時僕は、そんな美しい上勝町に住みたい、とは思わずに、もっともっといろんな世界を歩きにいこうと決めた。僕の宝物はいつでも、まだ踏み込んでいない場所にあると思うから。
by KazuFromJP | 2005-04-15 23:18 | ゲーム『人間』