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僕はずっと、何かを探していた。

何かを探して、外の世界を歩き回ってみても結局、
自分を満たすものが見つかるのはいつも、
自分の中だった。

まあ、よく聞くような言葉だ。僕がニュージーランドで過ごした365日間、そして日本に戻って今日まで、何だかいろんなことを、以前の自分ではやるはずもなかったようなことをやってきた。なぜ? 何を? 僕は探していたのか? 最近そのことに関して、またしても僕を満たす言葉が、僕の中に見つかった。それは、つまり僕が探していたのは、「鍵」だった。

人はそれぞれ、その内側に無数の箱や、蔵みたいなものを持っている。その中には、いわゆる人それぞれの「探し物」みたいなものが収められている。生まれた瞬間からそれらはそこにあるのだが、それらの箱や扉には鍵がかけられていて、自らの力では開けることができない。そこで僕らは、鍵を探しに外へ出る。

高校三年次、重い扉で閉ざされた蔵の鍵を開けて、その中に詰まっていた僕の、本当の言葉を開放してくれた先生がいた。中学時代に出会ったテニスは、初めて僕の、「試行錯誤」という箱を開けることとなった。専門学校時代には、僕の手足についていた手錠の鍵を開けて、より遠くへ、「鍵」を探しに行けるようにしてくれた人たちと出会った。

一昨年の夏、日本のユースホステルを転々とし、屋久島などを訪れた。その19泊20日の日々、そしてその秋から364泊365日のニュージーランド生活。そこにはもう、数え切れないほどの鍵が散らばっていて、僕の中にある、大小たくさんの箱や扉を開けた。

昨年10月に、ゲームプロデューサーの水口哲也さんと2年振りにお会いした。恵比寿駅から歩いて食事へ向かう途中で一番最初に出た話題を、その後メールで毎回、自然にお互い語っている。それは、「時の長さ」について。前回の、「春の香り」と題した記事にも書いたが、僕はニュージーランドで生活を始めてから、妙に時間が長く感じられるようになった。その感覚は、日本に戻って生活をしている現在も継続している。10月で独立一周年を迎えた水口さんも、本当に長い一年を過ごしたらしかった。「充実している時間」、「変化の激しい生活」の中にいると、繰り返しの毎日よりもずいぶん長く、時間が感じられるよねー、みたいなことをその時は話したが、それはつまり、その時間の中で出会った「鍵」、開いた「箱」や「扉」の数なんじゃないかと思う。

今日、専門学校時代に非常にお世話になった平林久和さんの、「西洋美術史」の講義に参加してきた。平林さんは、「来てくれて本当にありがとう」と言っていたが、僕はただ、新しい鍵を取りに行っただけだった。自分の蔵のどこかにあるいくつかの箱の鍵が、今日そこで手に入ることは、分かっていたから。

教室、というか小ホールみたいな空間で、CG制作を志す生徒たちに向けて行われる西洋美術史の授業。
「はい、ここは写真撮影可です」
カメラとノートを併用して黙々と学習する生徒たち、眠り続ける生徒、喋り続ける生徒。僕の最近の生活の中に刻まれる光景としてはかなり斬新なものだった。そんなところにはいつだって「鍵」が落ちている。
「お、あったあった。ガチャ。パカッ。」
みたいな。

平林さんには悪いが僕は、どの画家が何派で、どの絵がナントカイズムを象徴しててとかいう話には興味がない。僕はただ、何だかちょっと気になるような絵を、作者がどんな想いで描いたのか、何でそれを作ったのか、作りたかったのか、そういう話を聞いたり想像したりするのが好きだ。それがつまり僕の場合、何らかの鍵を開けることになることがよくあるからだ。

「鍵」は、人との出会いであり、時に学問であり、本であり、スポーツであり、映画であり、宇宙であり、道端に咲いた花でもある。

そういえば、最後に「道端の花」を見たのはいつだろう?

と、またしても、このブログという発信場所が鍵となって、小さな箱が新たに開いたようだ。何だかうまくまとまらない文章になってきたが、今日ここにこれを残すことが、次の新しい扉を開く鍵となりえるだろうからまあ、いいだろう。

鍵。何だかこの鍵のことを想うと、この世界が宝島のように思えてしまう。みんな宝の箱を持っているのに、自分では開けることができない。鍵を探しに外の世界へ行く。何だか「青い鳥」の話みたいだ。

さて明日は、どこへ行こうか。
by KazuFromJP | 2005-01-18 00:44 | ゲーム『人間』