KazuFromJP「勝手に感謝大会東アジア予選2019」
2019-02-19T23:57:19+09:00
KazuFromJP
昨日はヒストリー。明日はミステリー。今日はヒステリー。感謝の記録。人間学・ユング心理学。素敵本の紹介。など。
Excite Blog
それをやるのは今しかない(心眼力 文庫版 感想)
http://kazujp.exblog.jp/29264409/
2019-02-19T01:52:00+09:00
2019-02-19T23:57:19+09:00
2019-02-19T01:52:55+09:00
KazuFromJP
本に感謝の日
そう。恩師である野口嘉則氏の新刊が発売されたのだ。
これは恒例のAmazonレビューを書くしかない。
そしてAmazonに寄稿した。
いずれ埋もれてしまうのでここにも同じ内容を残しておく。
以下レビューのコピー。
『それをやるのは今しかない』
本書で著者の野口氏が何より伝えたいことは、
人間性を高めることの大切さである。
本書の内容はすべて、
「人間性を高める」という目的に沿って進んでいく。
よって、「人間性を高めたい」と思って読み進める者にとっては宝の山だが、
「何か役立つこと書いてないかなー」程度のライトな読者にとっては、
大した収穫はないだろう。
◆
実際、10年前に本書の単行本を手に取った私がそうであった。
今、丁寧に頭から読んでみれば、
本書の序盤でまず、「人間性を高める大切さ」は説かれていた。
しかし野口氏の語り口調が謙虚でやさしすぎる故に、
私のように気にとめず読み飛ばした読者が多くいたのではないかと察する。
単行本のレビューに目を通してみても、
低評価をつけている読者だけでなく、
高評価をつけている読者までもそのレビュー内容は拾い読み系ばかりで、
残念なことに本書の価値を最大限生かせている読者は少ないのではないかと感じた。
だからこそ私はここで改めて、本書の価値を伝えたい。
「それをやるのは今しかない」
と、実践主義の著者から本書の中で諭されたからである。
◆
野口氏は上杉鷹山や吉田松陰を人間性モデルとしている。
彼らの「不器用ながら誠実さを貫く」生き方を目指しているという。
「上善は水の如し」などと言って、
常に読者の上に立つことを避け、謙虚さ一徹である。
さすがコーチングのプロだけあって、
安易なティーチングはしない。
だが問題はそこにある。
この著者の一貫した姿を見て、
「自分も著者のように謙虚に…」
と思える読者は少ないだろう。
「なんだ、著者からの強いメッセージは特にないな」
「ただの名著・名言の紹介本か」
「この話は著者のブログかポッドキャストで見かけたな」
「真新しい内容ではないな」
このように受け取る読者が多いだろうと推察する。
著者のファンほどその傾向が顕著ではないだろうか。
せいぜいが、「良い話だったなー」程度のものである。
しかしあくまで本書は、
前者(人間性向上モードの読者)へ向けて書かれた内容であり、
ティーチングが必要な読者には易しくない。
じゃあどうすればいい?
◆
それは野口氏が本書の第一章で紹介している読書法に倣って、
正にこの本書と向き合えばいい。それだけだ。
ここだけ愚直に守れば、本書は最大限に輝きを増すことだろう。
「人間性を高める読書法」という節である。
1)「自分の人間性を高める」という目的意識をもって読む。
2)「問い」をもって読む。
3)「著者と対話する」という気構えで読む。
これは本書では、私の読書法はこんな感じですよ程度に、
やさしく語られているのだが、
ここをどう受け止めるかですべてが決まるのではないかと、
私にはそう感じられた。
◆
「なるほど野口氏はこんな意識をもって読書してるのかー」
↓↓↓
「なるほど本で学んだことは実践することが大事なのかー」
↓↓↓
「実践? いつやるか?」
「正にこの本を読んでいる、今でしょ!」
こうなればいい。
つまり、
「野口氏の推奨する読書法を、野口氏の著書に対して実践する」
ということである。
その先に「心眼力」の開眼はある。
◆
パッと見は拾い読みできそうな本の構成に見えるのだが、
本書の価値を最大限に高めるためには、
最初のページから順を追って読み進めていくことをおすすめする。
単行本の時には拾い読みしていた私だが、
意味があってのこの構成なのだ、と、今はそう感じられる。
◆
本書では、野口氏が先人たちからの教えを引用してたくさんの言葉が並べられている。
古典の言葉なのでさすが説得力があり、目に留まる。
しかし本書が私の心を強く打つのは、
その引用した古典の教えを、
本書を執筆している最中でありながらも愚直に実践している野口氏の姿、
その生き様である。
「読書をするときは著者と対話するような気持ちで…」
と言えば、今回著者側である野口氏は終始一貫して、
読者と対話するように筆を走らせ続けている。
常に読者とテーブルを挟んで座っているような距離感におり、
ステージに登壇するようなことを避けようとしている。
「文は拙をもって進み…」
と言えば、確かに野口氏は飾った表現を一切避けている。
すべてやさしい話し言葉で書かれている。
執筆家なら誰もがスマートに一番カッコつけたいはずの最初の節で、
愚直で不器用な自分をさらけ出している。
「操作主義ではなく全託して…」
と言えば、確かに読者をガイドしてくれてはいるが、
この私のレビューのような操作的な思いは本文に垣間見えず、
読者のありのままの感じ方に任せ、
そのまますべて許しているように感じられた。
本文上に並んだ言葉ではなく、
文章全体を通じて浮かび上がる野口氏の態度に着目していただきたい。
先陣を切って実践する姿が、すぐそこにあるのだ。
◆
本書の内容を学んだ上でこのレビューを書くのはとても畏れ多い。
謙虚さの欠落したレビューに不快感を抱く方もいらっしゃるだろうと
承知の上で書かせていただいた。
だがあえて私は、いま本書に触れようとする古今の読者の心に、
著者に代わって一石を投じたい。
どんな気持ちで、どんな目的で、いま本書を手に取り、
そのページをめくろうとしていますか? と。
◆
同じ景色を目の前にしても、
そこに何を見て感じるかは人それぞれ違う、と、
今回の文庫版あとがきにて野口氏は述べている。
人間性を高めていくにつれて「心の眼」が開けてくる。
それによって、人生に起きる様々な出来事の中に、
「運命を好転させる幸せ実現の因子」が見つけられるようになる。
その力のことを、
「心眼力」と呼ぶのだと。
そして「心眼力」は知識で得られるものではなく、
実践する中で磨かれていくものだと。
◆
伝説の灘校教師、橋本武氏の言葉を思い出した。
「すぐに役立つことは、すぐに役立たなくなる」
本書は私にとって、自身の読書に向かう態度を改める為の、
大切な実践の第一冊目である。
◆
そして私は、このレビューを書く場を通じて、
本書からの学びをいくつか実践することができた。
「よかった本の学びは、48時間以内に人に話すと定着する」
「知ってから行動するのではない。知ったと同時に即実践」
「うまくやらなくていい。感じたままに行動すればいい」
「”勇気”それを使うかどうか、ただそれだけ」
「今の自分を、良いも悪いも認めてゆるす」
「それをやるのは、今しかない」
どうもありがとうございました。
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ひとを失うということ
http://kazujp.exblog.jp/27140997/
2017-09-24T15:52:00+09:00
2017-09-25T00:40:22+09:00
2017-09-24T15:52:32+09:00
KazuFromJP
深く考えたシリーズ
その人の前でしか出てくることのなかった自分自身と
もう会えなくなってしまう喪失感、
その悲しみであると、
ある人が言っていた。
昨年九月に、大切な友人が亡くなった。
その時にその言葉の意味を、深く、深く、実感していた。
そう。あの人とはもう会えない。
それは悲しいことだ。
しかし「あの人との関係の中で作られてきた自分」、
「あの人を前にしたときだけ姿を表した自分」は、
今でもこの僕の中にいて、
あの人と会う時のためにスタンバイし続けているのに、
もう表舞台に立つことは、二度とないのだ。
その悲しみはまた別の、苦しみに似た、喪失・虚無の感情だった。
◆
年末、お世話になっていた先生に、友人の死を報告しにいった。
先生が友人の姿を思い返して言われた。
「なんというか、生きることに一生懸命な方でしたよね」
その言葉がその後しばらく、僕の中で、小さく響き続けていた。
やがてそれは、喪失感を、希望のエネルギーへと、
氷河が日光で溶け出していくみたいに少しずつ、ゆっくりと変え始めた。
◆
「あの人の前でしか出てくることのなかった自分」はこの先、
僕の中で永久に、眠り続けるだろう。
けれど、「あの人と出会ったことで作られた自分」は、気づいてみると、
僕の日常の表舞台で、ちょこちょこ顔を出し、変わらず活動していた。
「一生懸命」という言葉が、本当に似合う人だった。
あの人と出会ったことによって影響され、作られた自分―。
一生懸命過ぎて空回りしながら突っ走っていた友人の姿を想うたびに、
僕は逆に冷静に、目の前のことに集注できた。
その自分は、今日でもここにいて、僕の表舞台で活躍し、
いま目の前で関わる人に、新たな影響を与えることができている。
◆
そのエネルギーの源流はその友人にあるのだということを想うと、
僕が日々生きていくことで友人を生かしている、
そういうことになるのかもなと、そんな気持ちを実感できた。
友人が巡り合うことのなかった、今ここにいる人に
そのエネルギーは、僕を介して、確かに届いているのだ。
そして同時にこう思う。
僕が友人から授かったエネルギーはそもそも、
友人が他の誰かから授かったものだったのだろうと。
するとこんな景色が脳裏に展開した。
◆
ある山の峠道で、
「一生懸命」と書かれた黄色いタスキを友人から受け取った僕は、
友人がいま駆け上がってきた走路の先に、
地面に腰を下ろしてこちらに手を振るいくつかの人影を見つける。
各々まかされた距離を走り終えた走者たちが、その路上に座り、
こちらにエールを送っている。
道を目でさかのぼり、たどってゆくと、
その先何千キロも続いてきた壮大な走路と、
その路上には点々と、手を振っている小さな人影。
それはどこまでも伸びていて、遠くかすみが掛かっていた。
その壮大な走路を、
何人もの手によって繋がれてきた黄色いタスキが、
目を落とすといま、僕の手の中にあった。
◆
ありがとう。
大切な友人に別れを告げた僕は、
前を向いて、歩き始めた。
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好きということ
http://kazujp.exblog.jp/27074434/
2017-08-27T09:15:00+09:00
2017-08-28T08:58:57+09:00
2017-08-27T09:15:04+09:00
KazuFromJP
ただの写真。(カメラに感謝)
写真が好きだと改めて思った。自分で撮るのも、誰かの写真を見るのも好き。
いいカメラに出会うと、
よりレベルの高い写真を撮りたいと思う。
すごい写真に出会うと、
自分もすごい写真を撮りたいと思う。
けれど、「レベルの高い写真」にならなくても、
「すごい写真」にならなくてもやっぱり、
「撮りたい」という気持ちを大切にしたい。
ピンボケでも、端切れでも、
その瞬間を枠に納めてみたかった心を大切にしたい。
写真の出来はどうあれ、その心はそこに残るから。
「写真に撮るよりも今目の前の出会いを・・・」
と誰かが言ったとしてもやっぱり、
「撮りたい」「好き」
という自分の気持ちは、
密やかに、大切にしていたい。
ありがとう。
写真などに感謝の日。
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ただのつぶやき1
http://kazujp.exblog.jp/26936420/
2017-06-20T00:51:00+09:00
2017-08-28T08:58:57+09:00
2017-06-20T00:51:23+09:00
KazuFromJP
ただのつぶやき(結局感謝しかない)
生きてるし。
まあ、悪くないな。という、
それくらいがきっと
ちょうどいい。
だからつまり、
今日もありがとう。
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てくてく前に
http://kazujp.exblog.jp/26934358/
2017-06-19T01:55:00+09:00
2017-08-28T08:58:57+09:00
2017-06-19T01:55:53+09:00
KazuFromJP
今日は感謝の日
歩兵の駒を、一マスずつ進めるように。
◆
何も気にしない
気にしない。
とりあえず
駒を進めていく。
その先に出てくる飛車も歩兵も、
気にせず乗り越えていく。
◆
てくてく歩いているうちに、
気づけば、
すごいひとたちが世界を、
より素敵なものに変えてくれている。
感謝しかない。
ありがたし。
ありがたく、
恩恵を授かる。
そして、
還元する。
素敵じゃないか。
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ただの写真65@新宿駅
http://kazujp.exblog.jp/26934267/
2017-06-19T00:15:00+09:00
2017-08-28T08:58:57+09:00
2017-06-19T00:21:39+09:00
KazuFromJP
ただの写真。(カメラに感謝)
ちょっと立ち止まって、
また、
歩きだす。
カメラの存在に、
救われる。
ありがとう。
美しき
この世界。
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平均以上である必要はなくて
http://kazujp.exblog.jp/26407446/
2016-11-26T05:36:00+09:00
2017-08-28T08:58:57+09:00
2016-11-26T05:36:53+09:00
KazuFromJP
人間学実践塾・ユング心理学など
何もせずではなく実際は、
インターネットで検索ばかりしていた。
インターネットの情報の世界に潜り込んでいくと、
すごい人がこの世界にはたくさんいることに改めて気づかされるわけで、
情報に埋もれていく中で無意識に、
自分の存在価値に疑問を抱いたり、
自分にとっての存在意義が揺らいだりする。
それによって気分は浮き沈みする。
何かしなきゃなとか思いつつも、
自分にその「何か」ができるのか疑わしく思う。
◆
それは結局自分が未熟なわけなのだが、
実際に未熟なのはその
「何かができる」「できない」の能力ではなくて、
ある「思い込み」によって振り回されている自分の精神の未熟さなのだ。
たとえば、
「みんなが理解できていることは
自分も理解しなければならない」
という「思い込み」がある。
それが「思い込み」だと、以前先生に言われて気がついた。
無意識に、所属しているコミュニティにおける平均以上を目指して努力し、
そこに自分の居場所を確保して安心を求めてしまう。
努力もいい。安心もいい。
けれど、その裏に強迫観念みたいなものがいつも付きまとっているなら、
少しずつ何かを変えていきたいと思う。
◆
人と比べて「すごい人」になれたらカッコいいだろう。
けれども、
比較する相手がいなければ自分の能力が測れない
わけではないだろう。
だからと言って、
自分のある能力を伸ばしたいときに、すべてを、
他者と比較することなく向上させていくことはきっとできない。
大切なことは、自分が何者を目指しているのか、
仮に決めることだと思った。
◆
12時間眠り続けた日、
インターネットに浸り続けた時間、
人と関わらなかった一日、
それらの時間に低評価を下そうとする
世間一般を代表したがる自分がいる一方で、
それらすべてが大切な時間、大切な過去だった
として味わいたい自分もいる。
どっちも大切な自分で、どっちかが悪者ではない。
それでいい。
そこで大切にしたいのは、
いつでもどこでもその瞬間から、
「これからどうするか?」
◆
いつでも僕たちは、たくさんの経験・選択を、
バラバラと積み上げた積み木の山の上にいる。
いびつでも何でも、積みあがったものはもう仕方ない。
多少形を整えるのもいいけれど、ても結局考えることは、
「次の一手をどうするか?」
シンプルに。
ありがとう。
今日も感謝の日。
そして毎日味わいライフ。
まあ何でもいいか。
生きてるし。
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型に納まる心地よさ
http://kazujp.exblog.jp/26351367/
2016-11-08T10:10:00+09:00
2017-08-28T08:58:57+09:00
2016-11-08T10:09:11+09:00
KazuFromJP
今日は感謝の日
俳句や短歌なら五七五・七七、
絵ならキャンバスや画用紙、書なら半紙や額。
しかし感受性の世界には型がない。
どう受け止めていいのかわからない気持ちを抱えているとき、
それを詩や俳句にしたり、唄にしたり絵に表現することで、
ひとつの枠に納めることができ、心が落ち着くのだという。
五七五や長方形の画用紙のように、
型が明確なものほど、セラピーとしての効果があるのだと聞いた。
写真もそうだ。
視界には明確な端っこの境界線がない。
写真はそこの境界線をハッキリ決めて、長方形に切り取るのだ。
自分のために撮る写真は、自分に対して表現する。
そうそう、自分が見たいのはこれなんだと。
カメラによって幾度となく癒された。
喜びも悲しみも、ひねくれたい気持ちも、
いつもカメラは受け止めて、写真に切り取って自分に見せてくれた。
型に納まる心地よさ。
カメラとか写真とか芸術とかセラピーとか
そういうのを考えたり作ったりしたいろんな人やものに感謝の日。
ありがとう。
]]>
ただただふつうに
http://kazujp.exblog.jp/26347999/
2016-11-07T01:25:00+09:00
2017-08-28T08:58:57+09:00
2016-11-07T01:24:12+09:00
KazuFromJP
今日は感謝の日
忙しく仕事の日々を過ごしたり
オフの日をだらだら過ごしたり
やらなければいけないことを先のばししたり
しなくてもいいことをがんばってみたり
自分がしたことで誰かが喜んだり怒ったり悲しんだり
それはきっとこれまでもこれからもきっといろいろあるんだろうけど
ただただ感じていればいい
人のこえを
人の笑い声を
人の痛みを
感じた時に
どうしたらいいかではなくて
どうしたいのか
自分の心が知っているから
その心をニュートラルにしておけばいい
そんなふうに過ごしている
誰かが期待する結果は出ないだろう
けど自分の心が納得するのなら
他人には申し訳ないけれどがっかりしてもらうしかない
他人の心も人生をコントロールすることはできないから
そのかわりに
ただ信じて祈る
自分の心も人生も
誰かの心も人生も
大海の中の荒ぶる波が砕けて
平穏な海水の中に溶けていくように
自由に解き放たれるように
特に意味はないけれど
ありがとう
今日も感謝の日
]]>
ただの写真64@都庁
http://kazujp.exblog.jp/25690498/
2016-04-20T00:19:00+09:00
2017-08-28T08:58:57+09:00
2016-04-20T00:19:15+09:00
KazuFromJP
ただの写真。(カメラに感謝)
本田晃一さんが言っていた。「悩む」ってことは、結局何かを辞めたいんだよな。「いやいや、私の悩みは辞めることじゃなくて、これを始めていいか悩んでて・・・」って言う人もいるけど、始めたいの陰には必ず「これ辞めちゃったらヤバイと思ってて」があるんだよな。そう。確かに悩んでいた。それに関わる人への後ろめたい気持ちから、辞めたいという気持ちを抱くことさえ、自分の意識の表層で抑圧していた。
大人になってからいろんなことを始めては辞めてきたけれど、何かを辞めるときっていうのは、それが仕事であれ、趣味でやっていたことであれ、それを通じて関わってきた人たちから止められたり批判されたりして、ゴタゴタすることが多い。
けれど僕は怖れている僕に言いたい。「汝は汝の道をゆけ。人には勝手に言わせておけ」(byダンテ)だ。
◆
とあるポイント稼ぎの講座に出るために、内なる心がワクワクする本当に学びたい事の優先順位を下げていたが、今日、講座の更衣室で会った先生の言葉に勇気づけられた。「たぶん、いま学びたいことを優先して学ぶのが、一番だと思うよ」
そう。その通り。わかっていたけれど、僕は誰かにそう言って欲しかったんだと言われてから思った。
◆
今まで順当に積み上げてきたものは崩れ去るかもしれない。けれど僕が一番大切にしたいことは何なのか、見失わないようにいたい。僕を批判する人も、僕を勇気付けてくれる人も、誰も、僕が一番大切にしたいことが何なのか、知らないのだから。
たとえ遠回りでも、時間が掛かっても、自分時間で生きていきたい。
ありがとう。今日も感謝の日。
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これからどうするか
http://kazujp.exblog.jp/25515437/
2016-03-16T05:09:00+09:00
2017-08-28T08:58:57+09:00
2016-03-16T05:09:20+09:00
KazuFromJP
人間学実践塾・ユング心理学など
何なのかわからないがここ数日、身近なはずのいろんな人たちと、距離があるように感じていた。で、今日ふとある言葉を思い出した。
「この人に、すべての良きことが、雪崩の如く起きます」斎藤一人さんの言葉。
斎藤一人さんが出会う人に片っ端から心の中でつぶやいているとのこと。9年前、自転車旅行をしていた頃に僕は斎藤一人さんにハマっていて、旅の最中にこの言葉を心の内で唱えながらあちこち回ったりしていた。
実際イヤな人もいるけれど、この言葉を心の内で唱えていると、イヤな人のその「イヤ度」は、一時的にでもなぜか必ず下がる。そして自分の表の態度も、頑張って良く振舞おうとしなくても、自然に変わった。
◆
時が流れてそんな魔法の言葉を知ったことも、それを体験して実感していたことも、いつの間にか忘れていた。
でもまあ、思い出した。しばらくこの習慣を続けてみることにする。傍から見れば変な宗教みたいな行為だけれども、それで自分も周囲も安息を得られるならこんな手っ取り早いことはない。
◆
先月発売の『幸せになる勇気』の中で、「三角柱」の話が心に残った。カウンセリングで哲人(岸見先生)がしばしばある三角柱を使うという。三角柱の三面にはそれぞれ言葉が書かれていて、「悪いあの人」「かわいそうな私」そして、「これからどうするか」という3つの言葉が各面に書かれている。
クライアントの多くはまず、「悪いあの人」か「かわいそうな私」を語ることに終始するけれど、三角柱を彼らに渡し、これから話す内容の面を、こちらに向けて話してくださいと伝えると、大半のクライアントが、「これからどうするか」の面をカウンセラーに向けて、話し出すとのこと。
「悪いあの人」「かわいそうな私」をいくら話しても、一時的に気持ちが楽になるかもしれないけれど、根本的な解決にはならないとのこと。だから哲人(岸見先生)は、「これからどうするか」を、カウンセラーとクライアントで共に考えていくことだけに集中するとのこと。
◆
みんな昨日まではまあ、いろいろあったかもしれない。けれど、「これからどうするか」に集中するならとりあえず差しあたって今の僕なら、
「この人に、すべての良きことが、雪崩の如く起きます」
と道端ですれ違う人、電車で乗り合わせた人、職場で出会った人、テレビに映ってる人、に対して、心の内で唱えることから始めてみようと思う。淡々と。
◆
斎藤一人さんや竹田和平さんが、「ありがとう」を百万回唱えれば幸せになれるとか言ってたのを聞いて、以前は、まあたぶん引き寄せ的な力が働いて実際幸せになれるんだろうけれど、そんなことで幸せになれても面白くないんじゃないかとか思っていた。
けどそれは、サクセスストーリー的なものに憧れを抱いていた自分があったからで、何か仮にいろいろうまくいったとして、成功の秘訣は何ですか?と誰かに訊かれた時に、「『ありがとう』と唱え続けることですよ」なんて回答をする自分はクールじゃないよな、などと妄想していた。
けど今は、目指すところが変わって、ただ、シンプルに”「今これからどうするか」だけの人生”に魅力を感じている。
◆
自分の人生をゲームにしようとしてきた僕は、就活の延長でこのゲームを始めていた影響もあり、人に語るための人生を生きてきた。即ち、面接官に対して、「自分はこんなすごい経験をしてきました!」と語るための人生を。
けど人に語ることや見せることを捨てたら、このゲームは一気に深みを増していくように思う。
何度かこれまでもそのことに気が付いてきたけれど、まだまだ面接官を完全に切り捨てきれてはいないし、今この瞬間「はい切り捨てました」と言えるほどすぐに変われるものではないかもしれない。
けど何にしても、地道に淡々と、「これからどうするか」をことあるごとに問い続け、とりあえずは、「この人にすべての良き事が雪崩の如く起きます」と心の中で唱え続けることをひたむきに続けていきたいと思う。
◆
実際それで何がどうなるかはわからないけれど、たぶん面白い何かになっていくのだろうと思うからやってみることにする。
アドラー心理学の深みに触れ、偏った心の分析に魅せられて、
分析癖が前面に出すぎて冷めていた僕の心もそれによっていくらかは、分析から離れて、岸見先生の言う「他者への関心」に近づけるような気がする。
◆
ありがとう。今日も感謝の日。あなたにすべての良き事が雪崩の如く起きます。実際起きるかどうかは保証できませんが少なくともそう、願っています。
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「幸せになる勇気」感謝の日
http://kazujp.exblog.jp/25408958/
2016-02-27T06:12:00+09:00
2017-08-28T08:58:57+09:00
2016-02-27T06:12:35+09:00
KazuFromJP
本に感謝の日
岸見先生にはとにかく感謝の想いが溢れている。「感謝」とか言いつつも、我先にアマゾンにレビュー書いて目立ちたい欲と、わずかでも宣伝して岸見先生に貢献したい欲と、純粋に楽しみにしていた本を読み進めたい欲とが入り混じったカオスな状態でページをめくっていたら、何だかいつの間にか本書の中の論争に呑み込まれ、何だかよくわからない精神状態からふと脱した頃には、窓の外が明るくなっていた。
で、久しぶりにアマゾンにレビューを書いたのでここで同じものを紹介したい。以下アマゾンに寄稿したレビュー貼り付け********************************
『理論はわかった。けど、「実際どうなのよ?」というモヤモヤに、あの青年が勇敢に切り込んでくれる爽快感と、哲人に斬り落とされていく快い痛み。』
ミリオンセラー『嫌われる勇気』の続編。であると同時に、岸見氏がこれまで出してきた数々の著書の、ベスト盤のような印象も受けた。
◆
教員になった青年が直面しているリアルな問題は、誰もがかつて経験したことあるであろう教室での出来事であり、それが読み手の過去の経験と結びつきやすく、情景が目に浮かぶ。そして語られる問題に対するアドラー的対処法とその観点は、相変わらず我々の常識をあっさり飛び越えて混乱させてくるわけだが、そこにあるのは快感の伴う混乱である。
例えば問題行動を起こした子どもに対する親や教師が取るべき行動。現代社会においては一般に、子どものとった反社会的行動に対して、叱責するのがその務めとされるだろう。が、アドラーは「裁判官の立場を放棄せよ」「叱責は暴力である」という。そして叱責という暴力を用いることで親や教師は子どもからの尊敬を失う。「叱責には子どもの為」という見せ掛けの目的の奥深くに、「子どもを自分の支配下に置くために自立を妨げたい」という目的があるという。この一見飛躍した論理の真相は、ぜひ本書にて。
◆
前作を読んで、一応基本的な岸見流アドラーの理論はわかったつもりでいる。前作を読んで、その時はとにかく衝撃を受けた。いやしかしそうは言っても―、
「こんな場合はどうなの?」
「こういうケースだと矛盾しないか?」
「やっぱり実社会で直面する問題に対して、万能の真理とは言えないないでしょ?」
というような、実生活に戻された我らの心に沈殿してゆくモヤモヤ成分。すごいことをあの本で教えられた気がするけれど、いろいろわかったつもりではいるけれど、実践となるとやっぱりもう少しヘルプが欲しい。そんな我らの前にあの青年が帰ってきて、
「その辺のところ、どうなのよ?」
と我らに代わって哲人に、ズバズバ切り込みを見せてくれる。
「そうそう、そこ、詳しく訊きたかったんだよ」
という絶妙なところに青年が、激しく思いの矢を打ち込む。
対して哲人相変わらず、サラリサラリと矢を交わし、その矢をバッサリ斬り落とす。切れ味鋭い哲人の言葉とその重さが響いてくる。一瞬青年の痛みを感じつつ、やがてじんわり、哲人(=岸見流アドラー)の優しさ温かさが、少し遅れて染み込んでくる。
これは前作『嫌われる勇気』に対する、壮大なQ&Aの物語であり、我々が日常で直面する具体的な場面を想定したガイドブックである。
◆
「勉強は子どもの課題である。子どもの課題に介入してはならない。ならば教育とはなんなのか?」
「すべての対人関係を横の関係にせよ。とは言っても、親子、上司部下、教師生徒の関係の中で、どうすればそれが実践できるというのか?」
「褒める行為は縦の関係を築くことになってしまうという。しかし実際には、褒めることでうまくいっているように見えるケースが溢れているじゃないか。そこは一体どうなのか?」
それらの答えがサラリ・グサリと語られた後で、具体的な場面を描いてテンポよく解説されていく。流れるような対話の中に呑み込まれ、同時に頭や心が揺さぶられ続けるこの様には、快痛な混乱という言葉がシックリくる。
前作『嫌われる勇気』でのキーワードが出てくるたびに、復習的に解説をさらっと入れてくれているので、今作からでも一応読み進めていける形にはなっている。しかしやはり前作を一読した上で本書に入ることで、理論の核心への理解も、物語全体を通じた面白みも、全く変わってくるだろうと感じた。
◆
岸見氏があとがきの中で、地図とコンパスという言葉を使われていたが、『嫌われる勇気』が地図だとすれば、『幸せになる勇気』はコンパスではないかという印象を持った。手にした2冊に勇気づけられながら、最初の一歩を踏み出して、その先何気ない歩みを続けていきたいと思った。本書を通じて繋がっている著者と読者たち、その共同体感覚から、まず思い描きながら。
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さて、ちっぽけな欲に駆り立てられた僕の行動、
夜更かし読書もレビューの寄稿も、
善でも悪でもなくただのふつうの人間の行動であり、
もう既に過去のこと。
問うべきは今から何をするか。
まあ落ち着いてゆっくり本を読み直そう。
の前に、仕事のために仮眠をとろう。
ありがとう。
『幸せになる勇気』感謝の日。
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何でもない毎日感謝の日
http://kazujp.exblog.jp/25363822/
2016-02-16T01:17:00+09:00
2017-08-28T08:58:57+09:00
2016-02-16T01:16:33+09:00
KazuFromJP
今日は感謝の日
日々いろんな出来事があって、そのときどきにはそれらが大きな波に思えるけれど、
1ヶ月も経って振り返ってみれば、
すべて思い出は小さな波として記憶の中に凝縮されていく。
何でもない日々を、
温かくて、心地よく感じる時期と、
冷たい虚無感の渦に落ちてしまいそうになる時期があり、
それに直面する時にはちょっとしたビッグウェーブであるが、
過ぎ去ってみれば
結局すべて大したことないさざなみで片付いてゆく。
その1ヶ月とか3ヶ月とか半年とか
そういったスパンでの波の変動の中で、
激動な海面でイカダに乗って流されてゆく自分と、
海面の10メートルほど上空に浮かんだで流れている綿雲に乗って、
イカダを眺めながら実況と解説を一人でしているような自分がいて、
そんな人生のこの時が何だか楽しい。
イカダの自分視点では、
楽しいなんて感じていられない出来事にちょくちょく直面したりしているが、
綿雲の自分視点では、
イカダの上でまぬけなパフォーマンスをしている自分を眺めているのが、
いつでも楽しい。
イカダの上の自分は、時にカッコよかったり、周囲から何だか賞賛されたりする一方で、
惨めな姿をさらしたり、周囲から責められたり、
何とも言えない空しさを抱えてイカダに身を任せたりしている。
そんなもろもろを、
「何だか人生を満喫しているよな」って感じで
10メートル上空から眺めている僕は他人事のように、
いろんな渦中の自分を眺める。
そうしていると渦中は渦中でなくなり、
何でもない日々になる。
特別なことは何もない。
ただ淡々と、漠然でありながら定まっている目的地へ向かって、
イカダを進めていく。
それでいいんだと自分でわかっていれば、
信じていられればそれでいい。
誰かに説明することも、証明することも必要ない。
何でもない日々。
それが、いいなあと感じている今日この頃。
ありがとう。
今日も感謝の日。
何でもない毎日。
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ただの写真63@二子玉川
http://kazujp.exblog.jp/25227743/
2015-12-31T21:41:00+09:00
2017-08-28T08:58:57+09:00
2015-12-31T21:41:12+09:00
KazuFromJP
ただの写真。(カメラに感謝)
そういえばこれはむかし、あの人が僕にしてくれた行為だったなと。
自分が何気なく使っている言葉、
何気なくおこなっている行動、
それらはそもそも、
いつか誰かが僕にかけてくれた優しい言葉だったり、
いつか誰かが僕にしてくれた親切だったりする。
その人たちとは既に縁遠く離れてしまっていても、
その人たちは変わらず僕の中で生き続けてきた。
そしてこれからも生き続けていく。
僕の日々とともに。
2015年に出会えた優しい人たち。
その人たちが僕にくれた親切や優しい言葉が、
僕の一部になり、これから僕の中で、共に生きていく。
その人たちの優しさも、
そもそもはまた違う誰かが、
その人に与えてくれた優しさなのだろう。
ありがとう。世界中の優しい人たち。
ありがとう2015年。
そして来年末もきっとこう言うだろうから先に言っておく。
ありがとう2016年。
今日も明日も感謝の日。
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ただの写真62@東広島市安芸津町
http://kazujp.exblog.jp/25219758/
2015-12-29T03:54:00+09:00
2017-08-28T08:58:57+09:00
2015-12-29T03:53:23+09:00
KazuFromJP
ただの写真。(カメラに感謝)
けれど結局いつも同じ答えにたどり着く。
すべてこれでよかったのだという答えに行き着く。
考える前にもう、
その答えにたどり着くのだろうとわかってはいるけれど、
一度過去を自分の心の中でリプレイして味わいたいのだろうと思う。
◆
違う選択をしておけばよかったのではないかと
あえて問いかけながらリプレイする。
そう問いかけた後で、いや、これがその時の自分の最善だったと、
自分の選んだ選択肢に、確信を持たせて今この瞬間にピタッと
戻ってきたいのだろうと思う。
自分がやったこと、やらなかったこと、すべて、
あれでよかった、だからいま自分はココにこうしている。
そう。それでいい。
◆
もう少し、こうできたんじゃないか?
ああできたんじゃないか?
そう思う自分が今ココにいるのは、
それをしなかった自分があってこそなわけで、
後悔も心残りも不完全燃焼もすべて、
今の自分を構成するために大切な要素だから、
それらを糧に、今日も明日も生きていく。
だからすべて、
これでよかった。
他者や一般論や常識なるものたちが
自分の過去の行動をどう捉えようとも、
自分にとっては最善だった。
これでよかった。
ありがとう。
今日も感謝の日。
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