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カテゴリ:内観法について( 2 )
ずっと、「感謝」が最上のものだと思っていた。
何というか、上手く説明できないが、まあ人生の中で、
どんな時でも感謝できていればまあ幸せなんだろうと
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そんなふうに思っていたのだと思う。

先月、瞑想の森で一週間集中内観をおこなったときに、
どうやらそうではないことに気づいた。

内観法では、
自分の生まれた時点から今日まで、
3年ずつくらいに区切って、
身近なひと一人ずつに対し、

①していただいたこと、
②した返したこと、
③迷惑を掛けたことについて
ひたすら調べてゆく。

部屋の隅に立てられた屏風の中で一日中―。

      ◆

はじめのうちは、
①していただいたことばっかり浮かんできて、
「ああ、あんなこともしてもらった」
「あのとき助けてもらったなー」
と、
ひたすら感謝したいことばかり思い出された。

しかし4日目辺りの食事の時間、
瞑想の森創始者の先生の古いテープが流される。

3つの事柄の調べる割合は、
2割、2割、6割です。
迷惑を掛けたことに関して、
一番時間をとって調べてください。

      ◆

それまでの時間、
迷惑を掛けたことなんかろくに出てこなかったが、
先生の話を聴いてハッとした。

相手がしてくれたことを思い出して感謝するというのは
とても気持ちがいいことだけれども、
内観は気持ちよくなるためにするわけじゃない。
内観を終えてすっきりしたらそれが
内観が上手くいったということではないですよ。

先生は言われた。


人が自分に何かしてくれたこと、
それは嬉しいことだけれども、
それは自分が何か良いことをしたからかもしれないし、
自分の態度が良かったからかもしれない。
してくれたことを調べて出てきても常にそういうウラを、
意識していなくともどこか感じてしまったりする。

しかし「迷惑をかけたこと」は違う。
自分があんなひどい事をした、あんなに迷惑を掛けたときでさえ、
あの人は、この世界は自分を認めてくれて、
そして今日も変わらぬ関係のまま、自分はここに生かされている。


僕が一週間、森の和室の屏風の暗がりの中に閉じこもって得た
最大の真実はそれだった。

      ◆

その後は、次々に迷惑を掛けたことが浮かんできた。
そして思った。
僕は世界に対して随分とひどいことをしてきたものだと。
だから今日も変わらないこの世界に僕はもちろん感謝しつつも、
これからは、周囲からの迷惑を喜んで引き受けようと心に決めた。

それが、本当の愛だと今の僕は思うから。

自分に優しい人に優しさを返すのは当たり前のこと。
しかし感謝したくない人の存在を認めることこそが、
最上の愛であり、それができるようになればきっと、
穏やかで健やかで、いわゆる幸せで、
素敵なことなんだろうと思った。

      ◆

それでも日々、感謝することが、
そういう状態に向かう確かな道なんだろうと
改めて最近思い直す。


定期券を知らぬ間に落とし、
落としたことに気づかぬうちに、
誰かが駅に届けてくれて、
駅員さんが電話で連絡をくれた。

そんな日は本当に一日中エネルギーに溢れていて、
何をしても疲れない。

ありがとう僕の定期を届けてくれた優しいひと。
ありがとう電話をくれた一ノ割駅の駅員さん。


やはり今日も感謝の日。

ありがとう。


 
by KazuFromJP | 2010-09-09 16:06 | 内観法について
栃木県の森から出てきました。
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出てきて一週間。

すごい人の刺激的なお話だとか、
カリスマリーダーの熱いセミナーだとか、
心揺さぶられる感動的映画だとか、
そういったものによって急上昇したテンションが
急降下してくるのがだいたい一週間後。

内観法は、
それらとは違う類のものだった。

     ◆

内観最終日には、
穏やかで無欲な心の状態があった。
そして一週間振りに森から出て、
帰りの電車の中では全てが新鮮で、
異国に来たようで、直前にあった穏やかな心と、
すべてにわくわくする好奇心だらけの心とが不思議に共存する、
不安定ながら心地よいふわふわした状態があった。

仕事に戻ると、
何だかうまく場に溶け込めないふわふわした状態が続いたけれど、
日を追うにつれて適応していった。
新しくなった価値観と心が、
職場になじむまでに少し時間を要したのかもしれないと、
振り返ってみるとそう思う。

     ◆

集中内観で一週間も屏風の中にこもっていたのに、
不思議と達成感はない。
ただ、日が経つにつれて淡々と、心は静かになってゆく。


今日は日帰りで大阪に行き、
毎月通っている「ゆにわ」の道場で学んできた。

そんな少し非日常な一日を送る日を、
淡々と日常として自然に過ごせた。


「ゆにわ」でも「瞑想の森」でも共通して、
日常の大切さを教わった。

人は非日常の快感を求めて日常をおろそかにしやすい。

     ◆

アンパンマンの日常を想った。
一見激しいバトルの日々を送るアンパンマン。
激しい戦闘後、何事もなかったかのように
のどかなオヤツタイムに戻るアンパンマンたち。


アンパンマンのモデルは、
陽明学者の中江藤樹じゃないかと変なことを考えた。


ありがとうアンパンマン。
ありがとう瞑想の森 内観研修所。
by KazuFromJP | 2010-08-21 01:25 | 内観法について