無成長の恐怖
僕が通った専門学校には担任の先生がいて、
僕が何度か学校を辞めようと思ったときに相談すると
そのたびにいろいろ諭され、留まるようにと説得させられた。
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学校を卒業して10年以上経つけれど、
幾度となくあの頃の事を思い出す。

僕は、学校を辞めることで何か新しい道が開けるような気がしていた。
「中退」という言葉への憧れみたいなものもあったのかもしれないし、
辛かった新聞配達から逃げたかったのかもしれない。

けれど一番は、「何も前に進めていないのではないか」
ということに対する怖れだったのだと思う。

      ◆

マルチメディア科ゲームソフトコース。
僕のいたクラスだが、そこにはいろんな天才がいて、
僕はとても彼らと同じ土俵では戦えないと思った。
自分の戦える土俵は全く別の場所にあって、
そこへ向かうなら、即刻ここを立ち去るべきだと思った。

僕はプログラムの勉強に時間を費やすより、
物書きの勉強をしたいと思い、
先生に相談した。

先生の回答はこうだった。
いつか物書きになるのなら、
ここでゲームのことやプログラムのことを学んだことが、
きっと武器になる時がくる。
なぜなら、ふつうの物書きは、
プログラムのことを知らないから。
だから―、せっかくだから―、今ここで学んでおけ。

1年生の、7月だった。

      ◆

結局僕は卒業するまでに、
プログラムを武器にできるレベルに至らなかったけれど、
ゲームがどんな風に動いているのか、
ウェブサイトがどんな仕組みなっているのかぐらいは、
何となくわかるようになった。

ゲームというものでも、ウェブサイトというものでも、
新聞配達というものでも、
受け取る側からの視点だけでなく、
制作・発信する側の視点を持つことで、
この世界は広がりを増して見えてくる。

      ◆

当時の僕はそのことを、はっきりと認識できてはいなかったけれど、
何となく、その面白さを感じていた。
そして僕はその後10数年、
自分の心が向くままに、知りたい世界へ踏み込むことを繰り返してきた。

いま思えば、その原点はあの日の、先生との会話だったように思う。

「コンピュータプログラムに詳しい小説家」
別にそれになりたいと思ったわけではないが、
そういう人生は楽しいだろうなと、
先生の言葉によって僕は、
いろんな人生の可能性を想像することができた。

      ◆

そしてあれから10年以上経って、
あの頃ちょっとワクワクしたそういう存在に、
自分がなれていることに、静かな喜びを感じている。

今でも、
「何も前に進めていないのではないか」
という恐怖がしばしば心をよぎることがある。
けれどこの10年が、
ロジカルにその恐怖と対峙して、毎回デリートしてくれる。

      ◆

止まったり、サボったり、後退したり、
そういう自分を俯瞰して、
大きな成長の波の中にそれらすべて、
内包されているものだと捉えられたら―、
何かいいなと思う。
 
個人の成長も、会社の成長も、
家族の成長も、国の成長も、
この星の成長も。

      ◆

そんな風な気持ちで今、いられること、
ありがたいなと思う。
川上先生、ありがとう。
by KazuFromJP | 2015-04-19 03:17 | 専門学校の思い出
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