<   2015年 08月 ( 2 )   > この月の画像一覧
「運命に従順に、自由より自然に」
というのが僕のここ最近のテーマで、
静かで穏やかで、健やかで行動的な日々を
密やかに楽しんでいる。
b0001402_3571456.jpg

僕はずっと、「自由」に縛られていたのではないかとふと思った。
自分は自由なんだと―、
自分に―、誰かに―、
証明しようと無意識に気を張って―、
「自由を証明しなければ」
と、目に見えるカタチは自由でも、
結局心は不自由だった。

      ◆

今月僕は誕生日を迎えた。
誕生日の前日、
できることならもう二度と行きたくないなと思っていた場所で、
朝7時から22時まで働くことになった。

行きたくなかった理由は単純に、
個人的に嫌な人が何人もいる現場で、
自分のポリシーに合わない文化が根付いているからだった。
その現場だけはやめてほしいと
司令部に伝えようとしていた矢先のこと。

その仕事の案件が決まったのは誕生日の2日前で、
「そうか、32才の最後に、
この課題をクリアしとけということか」と思い、
その運命に対して、積極的に、心から従おうと考えるに至った。

      ◆

5年前の誕生日を迎える前の一週間、
栃木県にある瞑想の森内観研修所という施設で過ごした。
そこは外界から遮断された森の中で、
ひたすら自分の過去と向き合い続けるという、
リアル「精神と時の部屋」であり、
いろいろ不思議な体験をさせていただいた。

その日々の中で最終的に僕がたどり着いた答えの一つが、
「これからは、他人からの迷惑を積極的に受けて生きよう」
というものだった。

      ◆

それはノブレス・オブリュージュの精神に近いかもしれない。
僕は心理的に恵まれた人生を、
それまで歩んでこられたということをその時改めて感じた。
自分の感情をうまくコントロールできず、
他者や物にぶつけて発散しなければ
バランスを取れない人は大勢いる。
そんな世界の中で、精神的安定を保てている恵まれた自分は、
多少他者から理不尽な扱いを受けたり
罵倒されたり中傷されたりしても、
それらをうまく自分の中で消化する術をある程度身に着けている。

そしてその術を身に着けるに至るまでに、
散々他者に感情をぶつけて迷惑を掛けてきた過去も、
「精神と時の部屋」の中でたっぷり観てきた。

それならば、
これからは自分が他者からの迷惑を積極的に受けることで、
世界は多少なりバランスを取れるだろうし、
そうすることで、散々迷惑を掛け続けてきた僕を、
いつも変わらず受け容れ続けてくれた世界に、
少しでも貢献できるんじゃないかと、
良い子ちゃん的な考えが芽生えたのだった。

それは確かに良い子ちゃん的ではあるのだが同時に、
その使命を自分に課すことがきっと、
自身の幸福感に繋がっていくだろうという確信を
なぜだか感じたのだった。

      ◆

2015年の僕に戻って―、
5年前に聖人君子的な想いを一度抱いてはいても―、
やっぱり僕は人間らしくて、嫌なものは嫌なんだなあと思うのだが、
その今年の誕生日の前々日に―、
運命に従順に生きようと思った瞬間に―、
5年前の瞑想の森で感じた想いが再度、
バージョンアップしてよみがえってきたのだった。

他人のマイナス感情を積極的に受け容れてやろうと、
今一度決心した。
どんなに理不尽な境遇であっても、
その環境の中における最善の行動を毎秒選択し続け、
僕の心は天に向かって開き続けていれば良い。
そう思ったら、
行きたくなかったはずのその現場に行くのがちょっと、
楽しみになった。

      ◆

そうして迎えた32才最後の日、
積極的に迷惑を受け容れ、
淡々と最善の選択を毎秒続けようと臨んだ結果、
長時間労働の中身体の疲労はあったものの、
やっぱり好きにはなれない人たちが笑顔を見せたり、
時に感謝の言葉やねぎらいの言葉をくれたりしたことで、
僕は自分の課題をまた一つクリアできた気がして、
ちょっと幸せな満足感に浸ることができた。

結果として―、
「二度と行きたくない現場」は、
「できればまあ行きたくない現場だな」に昇格した。

      ◆

運命に従順に、自由より自然に生きよう。

自然に流れる川の流れを無理に変えることなく、
大きな世界の流れに従って、
自分の役割を受け容れて
世界の一部として自分の能力を発揮し流れに還元する。
その中に自分なりの幸せを見出す。

そんなことを考えてこの、
僕なりのゲームを密やかに楽しんでいる今日この頃。

誰にも知られることのない、
この地味でエキサイティングなゲームを
(ここに書いてしまったけれど)
明日も続けていきたいというのが僕の生きがい、
生きる意味になりつつある気がする。
 
      ◆

そこには証明も他者からの承認も要らない、
本当の自由があるように感じている。
今のところ。

ありがとう。
今日も感謝の日。
 
 
  
by KazuFromJP | 2015-08-25 03:58 | 人間学実践塾・ユング心理学など | Comments(4)
今日は二子玉川にある整体協会の本部道場にて、
野口裕介(ひろすけ)先生の講話のテープを聴く会と
活元会が開かれ、参加してきた。
b0001402_22441276.jpg

整体協会の本部講師を勤めておられた裕介先生が亡くなられて、
明日で一年になる。

懐かしい空気だった。
高温質なスピーカーの性能もあったかもしれないけれど、
本当に先生がそこにいて、みんなでお話を聴いているかのようだった。

いつかの日々と同じように正座をして、
先生の声に耳を傾けているとふと、
この一年で、ずいぶん座り方が上達したなあと自分で感じられた。
そう思っているとテープの中で先生が正座のお話に触れられたので、
自分の成長した姿を先生に見てもらえたような気がして嬉しくなった。

      ◆

活元会を終えて、人がいなくなった道場の縁側から、
玄関脇で大きく育った高い木を見上げていた。

枝の一番高いところに、一羽のカラスが飛んできてとまった。
西日を浴びた枝葉が、そよ風に揺られてキラキラ輝いて見えた。
カラスは枝とともに揺られながら、しばし羽根を休めていた。

この木は、人が意図して植えたものだろうけれど、
その意図に含まれていないカラスも飛んできて、
しばし羽根を休めている。

      ◆

なかなか飛び立たないカラスを見つめていると何だか、
この一番高い木も、その周りの木々たちも、
部外者のカラスを優しく受け容れていて、
お茶を出してあげているような感じに見えてきた。

尊敬する先生方や、整体協会の在り方を想った。
飛んできたカラスを優しく受け容れてお茶を出す。
飛び立ったカラスを追いかけることはしない。

その人がその人らしくあるために手助けをするが、
自立を阻害する余分な施しはしない。

裕介先生がよく言っておられた。
「老婆親切になってしまわないように気をつけなさい」と。

      ◆

僕も、今日見上げていた木のような在り方を目標に日々、
過ごしたいと思った。

整体をすることにおいても、
人格の在り方も、
このブログを書く上においても。

静かに。
淡々と。
温かく。
やわらかく―。

      ◆

ありがとう。
今日も感謝の日。

 
 
by KazuFromJP | 2015-08-02 22:33 | 野口整体一年生 | Comments(0)