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マハトマ・ガンジーさんが熱い。
そうか・・・。そういうことだったのか。非暴力不服従。
単に徳の高いだけの人だと思ってたぜ。
何たる、捨て身かつ計算深き心理戦―。



非暴力とは、単なる戦力放棄だと思っていた。
私は一切抵抗しない。
殴られ、私が苦しむことで、
彼らは不正を悟ります。

時に彼らは、
私を殺すこともあるかもしれません。

しかし彼らは、
死体を手にできても、
服従は手にできないのです。


そう。
何かにいらだって、自分が怒鳴りつけた相手がその時、
怒鳴り返してきたら、
自分の正しさの証明に走ってしまうのだけれど、
自分が怒鳴りつけた相手がその時、静かに謝ってきたら、
不意に我に返り、怒鳴っている自分を恥ずかしく感じてしまう。

非暴力とはそういうことか。
相手に気づかせる為の、有効な心理的手法だ。

ガンジーは
一人にできることは
万人にもできると信じていました。

そして何をするにも
まず自分で試し
できないことは人に勧めませんでした。

だからこそ、あんなに多くの人々が、
彼についていったのです。



ふと、「挑戦=チャレンジ」には、2種類あるのだと気づいた。

【 A 】
一つは、自分の持っている能力を他者に証明するためのもの。
達成感や優越感を得るためのもの。
「これが俺の実力だ」「俺の努力の結晶だ」的なもの。

【 B 】
もう一つは、誰もが本来持っている能力を
自分の身体を使って証明するためのもの。
ある志を成すためのもの。
「俺にできた。だから君にもできるよ」的なもの。


そんな風に「挑戦」の動機付けを分けて考えたことはなかった。
これからは自分の挑戦がAなのかBなのか、
その動機付けをしっかりと意識しておこう。

もちろん、Bの挑戦をする自分で在りたいと思う。

田坂広志的に分けると、
挑戦Aの心は「野心」。挑戦Bの心は「志」である。

田坂広志さん曰く、

「野心」とは、
己一代で何かを成し遂げようとする「願望」のこと。

「志」とは、
己一代では成し遂げ得ぬほどの素晴らしき何かを、
次の世代に託する「祈り」のこと。


さすが広志。
さすがガンジー。
ありがとう。

もう寝よう。2011年夏の終わり。
60点。

動画紹介してくれたのは
野口嘉則さんですありがとう。
番組作った中心人物は藤村賢志さんらしいですありがとう。

だから今日も感謝の日。
  
 
by KazuFromJP | 2011-08-30 02:44 | 人に感謝の日 | Comments(0)
そんなこんなで時は流れてここにいて、
何らかの言葉をつづることに頭を働かせていたけれど、
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別に選ぶ言葉は何でもよくて―。

人からどう見られたいかというところから始まる言葉選びから、
人に自分の存在がどう役立てるのかというところから始まる言葉選びに、
成長できたらいいんだろうなと考えていた。


そんなこんなで
ヴィクトール・フランクルの言葉を貼り付けてみる。

どんなときも人生には意味がある。
どんな人のどんな人生にも意味がある。
この世に命ある限り、
あなたには満たすべき意味、
実現すべき使命が必ず与えられている。

例えあなたが気づいていなくても、
それはあなたの足下に、
常に、既に送り届けられているのだ。

この世のどこかに、あなたを必要としている何かがあり、
あなたを必要としている誰かがいる。
そしてその何かや誰かのために、
あなたには、できることがある。

その何かや誰かは、あなたに発見され実現されるのを、
ずっと待っているのだ。

だからこの人生で起こるすべてのことを、
例えどんなに辛いことでも、意味あること、
必要だから起こったこととして、
静かに受け止めよう。

その何かは、あなたに大切なことを
気づかせてくれるメッセージを含んでいるはずだから。

諸富祥彦著『どんなときも人生には意味がある』より


ありがとう。
今日も60点。
by KazuFromJP | 2011-08-28 05:08 | ありがたい言葉 | Comments(0)
自分の真ん中がどこなのか、
日々考えたり考えるのやめたり、
いったんまとまったりまた迷ったり、
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そんなこんなでも何となく、
らせんを描くように少しずつ、
どこかに向かって進んでゆく。

どこかに―。


以前、一部で話題になっていた
灘中高の伝説の国語教師、橋本武先生について書かれた
『奇跡の教室』(伊藤氏貴著)を読んだ。

本を読む以前に、ネットで広まっていた橋本先生の名言
(―というと安っぽくなってしまうが、先生の言葉)で、
僕は救われた気がした。

「スピードが大事なんじゃない。
すぐ役に立つことは、
すぐに役立たなくなります。

何でもいい、
少しでも興味をもったことから気持ちを起こしていって、
どんどん自分で掘り下げてほしい。

そうやって自分で見つけたことは
君たちの一生の財産になります。
そのことは、いつかわかりますから―」


教科書を使わず、中勘助著「銀の匙」一冊のみを、
中学三年間かけて読み込んでいく授業―。


そんな先生の大胆悠々たる姿に雷鳴を受け、
我が身を振り返り、
手っ取り早く本から要点だけ掴む能力が良しとされる現代の価値観に、
気づかぬうちに同調しようとしていて、
本当の意味で本を、
読みたいように読めていなかった自分の心に気づけた。

ありがとう。

そう。好きな本を、
何十年もかけて読んでいいのだ。
わからない箇所で、
何日も立ち止まってよいのだ。

ずっと、時間にとらわれずに、
将来だとか、他の目的なしに、本をゆっくり読みたいと
心の奥で思っていたことに気づけたとき、
人生に無限の可能性が広がった気がして嬉しかった。


一昨年買った、井上新甫著『王陽明と儒教』を
ちょっと前から再び読み進めていた。
123頁の薄い本だけれど、ところどころよく解らず立ち止まる。

今になって気がつけることだが、
橋本先生の言葉に出会う前は、
この立ち止まることに対して焦りや不安や、
劣等感や罪悪感があった。

それは本を読む目的を、未来に求めていたからだろうと思う。
今、ここで、本を読むこと、著者の言葉を味わい深めること自体に
楽しみ、目的を見出すことができたとき、
焦りも不安も恐れも消えている。

それはきっと、読書だけじゃないだろうなと思った。


ありがとう橋本先生。
ありがとう井上新甫さん。
ありがとう伊藤氏貴さん。
ありがとう、話題にしてくれていたネットの中の人たち。

そして、橋本先生と恐らく同じ考えのもと、
国語の授業を展開してくれた先生が、
僕の高校3年次にいました。
石井敦子先生、どうもありがとう。


今日も60点。

 
by KazuFromJP | 2011-08-09 03:44 | 本に感謝の日 | Comments(1)