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2日続けて日記を書くのもいいと思った。
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●今日の味わいライフ

昨日は、傘を忘れてズブ濡れダッシュ。
今日は、傘を差してもズブ濡れライフ。


●ゲームな『人間』の今日

思った。
発信することが、自分を成長させていく。
だから受信をしてくれる人には、いつも感謝なのだ。
でもなんで成長していくのか。
それはただ、成長が楽しいからだ。


●今日も感謝の日

ニュージーランドに住む直子さんからメールがきた。

僕を雇ってくれて、
イカのさばき方をを教えてくれて、
オークションに連れて行ってくれて、
自転車旅行の装備を貸してくれて、
弟だと言って新聞屋のバイトに応募電話してくれて、
いろんな本を貸してくれて、
いろんな人を紹介してくれて、
いろんなお話を聞かせてくれて、
とにかくいっぱいお世話になったことを、
今さらながら、オモイダシカンシャだ。


●MVP

10年くらい前の音楽にのりながらIDチェックをしてくれた、警備員のお兄さん。
by KazuFromJP | 2005-06-30 08:48 | 日記のような | Comments(0)
日記を書くことにした。
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●今日の味わいライフ

駅の階段をおりていく時、真横にいた長身のお兄さんと足並みがピッタリとそろって同じ譜面の上を歩いたりした。


●ゲームな『人間』の今日

H美さんに電話してとりあえず、7月の下旬に徳島へ再訪することに決めた。


●今日も感謝の日

ズブ濡れダッシュを久々に味わわせてくれた、仕事帰りに降っていた雨に感謝。


●MVP

役場に電話した時、丁寧な対応をしてくれたお姉さん。
by KazuFromJP | 2005-06-29 08:16 | 日記のような | Comments(0)
「ボクシング、どうなってるの?」
って最近よく訊かれる。
ボクシング、やってます。
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とは言っても、今日は久しぶりだった。

会長の髪が伸びていた。話した感じだと恐らく、忘れられていた。会長はいつもだったら、僕に会うとすぐにKトレーナーの話をした。
「お前、最近Kに見てもらってるのか?」
大きい会社のビジネスマンでもあるKトレーナーは仕事が忙しく、「早寝早起きそば屋ライフ」をしていた頃の僕の生活サイクルでは会えることが少なかった。

今日、久々に会長と話したら、初めて会った頃の会長に戻っていた。
「久々だから、あんまり無理してやるなよ」
「いま何の仕事してるんだ?」
「空港? 空港ってどこだ?」
「何時から仕事してるんだ?」
「久々だと身体が硬くなってるだろ」
「まあこれからはちゃんと毎日来いよ」
のんびりした感じで淡々と話す。どこか、親戚のおじさんみたいな感じだ。

日曜の夕方、ジムはいつもすいている。今日は僕のほかに二人だけだった。

縄跳びをとりあえず3ラウンド(1ラウンド=3分)やった後、今日はじっくりとシャドウボクシングに時間をかけようと思っていた。しかし後ろで見ていた会長は、シャドウが1ラウンド終わるとすぐに、「おまえ次サンドバッグ叩け」と言った。
会長は、直接的な言葉で褒めるようなことはしないが、その言葉にはいつも、僕にやる気を出させるような魔法が込められている。

「次サンドバッグ叩け」という言葉の裏には、「シャドウはとりあえず合格だ」という意味合いが込められているのだと僕は解釈している。それはポジティブな僕の、勝手な思い込みかもしれないがそれでも、僕は勝手にやる気になって、動きがますますよくなるのだから会長には感謝するのだ。

僕が初めてジムを見学に来た時も、久々にジムにやってきた時も、会長は無愛想な話し方をするのだが、淡々と話すその言葉はやはりどこか、魔法めいた力があって、絶対に相手を遠ざけることがない。挑発的ではないのだが何故か、相手に闘志の炎を点火してその気にさせてしまう。

会長の、人間の大きさを今日、改めて感じた。

僕は新しい仕事の生活サイクルにも慣れ、これからまた、ボクシングライフは続いていく。でも僕は、相変わらずまた徳島に行くし、また別な山奥に住む仙人にも会いに行く。僕は完璧主義者じゃない。無理なことや嫌いなことはしないし、好きなことや楽しいことを、何かに遠慮してやめたりはしたくない。

だから、ボクシングはやる。ゲームも作る。本も書く。ホテルマンはもうやらない。ホストは二度とやらない。

味わいライフ。
by KazuFromJP | 2005-06-27 02:22 | ゲーム『人間』 | Comments(0)
「もしもし。約束、覚えているだろ?」
「ん? ・・・・・・約束?」
「ゲーム、作るぞ」
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昨夜、徳島駅前からタツヨシに電話した。
「大学は? この春卒業したのか?」
「ああ」
「専門は?」
「来年卒業だから、この秋から就活はじめる」
「よし、じゃあウチの会社に内定だ」

今朝、僕は徳島から帰ってきた。徳島へは、本を作るために行ったはずだった。しかし僕は、滞在したその4日間の中で、ゲームを作ることに決めた。

以前名古屋の徳林寺で知り合った、仙人みたいな人のお宅へおじゃました。すごかった。山奥に住んでいるが実は、オシャレな仙人だった。これは、ちまちまと、他人の話を集めて本なんか作ってる場合じゃない。

これはもしかしたら、共感と味わいと感謝を、ゲームで結んで楽しむことができるかもしれない。

町役場に電話した。
「―と、いうことなので、一度会ってお話を聞いてもらえないでしょうか」
「いいですよ。いつでも」
「僕は今夜、横浜に帰ってしまうのですが、今度いつ頃ならよろしいでしょうか。お約束いただける日にまた来ますので」
「いいですよ。いつでも」
「え? じゃあ、あの、突然ですが本日でも、お時間いただけますか?」
「はい。いいですよ」
「ああ、ありがとうございます。では何時頃お伺いすれば・・・」
「いいですよ。何時でも」
「じゃあ今からお伺いしても・・・」
「コーヒーとお茶、どちらがお好きですか?」
「え? じゃあお茶で」

10分後、役場に行ってプレゼンした。プレゼンというかもう、企画会議みたいになっていた。2時間くらい、役場のH美さんと、H美さんを紹介してくれたA子さんの3人でアイディアを出し合い、問題点を潰していった末、最終的にはどうなるか見えないが、とりあえずプロジェクトを動かしていけそうな感じでまとまった。

忙しい中、時間を割いて下さった方々に感謝なのだ。


高校時代、僕はなぜだか勢いで、「ゲーム作る系」の専門学校に行くことに決めた。いつだったかタツヨシに語ったことがあった。
「いつかゲーム会社つくる予定だから、そのとき経理か何かで雇ってやるよ」
「会社とか作るのはカネとかいろいろ面倒なことが多いから、既にその辺にあるちっちゃな会社に入って、そこをのっとる方がうまくいくんじゃない?」
「ああそうか、なるほどその手があったか。あとヰワオは、テストプレイヤーで雇ってやるから」
「つまらんゲームはやりたくないけどまあ、面白かったら引き受けるよ」

学生の安易な野望と同様に、僕が役場に持ち込んだ企画にもすぐに、障壁が現れた。しかしそこで、役場のH美さんは言った。

「壁があるというのは良いことよ。それがなければ、誰だってできるってことだし、それを乗り越えられたら、我々にしかできない、ものすごい価値があるものになるのよ」

そうだよなあ。
H美さんは、気さくな人だった。僕はその時、西健一さんにもらったちびロボTシャツを着ていたのだがそれを見たH美さんは、
「こんなん着てるから、任天堂のマワシ者かと思った」
と言って笑った。

さて、まあそんなわけで僕は、ゲームを作ることにした。

「味わいライフで本作るとか言って、どうせいつか、ゲームに戻るんだろうと思ってたけど、まさかこんなに早かったとは」
昨夜の電話でタツヨシは言った。
「まあゲームを作るけど、ゲームであんまり儲けず、ゲームのガイドブックを売って、そっちでボロ儲けする予定だから」

僕は、自分で独自にビジネスを開き、役場にはただ、広報かなんかで宣伝してくれればいいと思って話を持ちかけたのだが、話していくうちに、役場の協力を得た方が100倍やりやすい状況になってきたのでとりあえず、上に話を持ちかけてくれるように頼んだ。だから数日後、全面否定されて弾き出される可能性も、高いのか低いのか、よくわからないのだ。でもH美さんは、

「壁があるのは良いことよ」

と言った。弾き出されても壁に潰されても僕はこの、ゲーム作りという名のゲームを、これからしばらく味わっていくことにした。僕の味わいたい世界が、そこに見えたような気がしたから。

でも、今夜はまた空港で、肉体労働味わいライフ。


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ゲームタイトル「奥のアカ道(仮)」
サブタイトル「ゲーム人間」
2006年3月3日 発売予定
販売予定価格 500円
公式ガイドブック予定価格 1200円
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by KazuFromJP | 2005-06-24 11:27 | ゲーム『人間』 | Comments(0)
今日の暮らしのお役立ち……生き甲斐

僕は、将来の夢を持たない若者だ。
僕がここに書いてきたものを読んでくれてる10人くらいの人たちはすでに、知っていると思うけど。
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今朝、このインターネットワールドで、「夢なんかいらない」みたいなことを書いている人に出会い、再び共感の味わいに乾杯した。

田口ランディという名前は本屋で見かけたことがあった。けれど僕は、その人の本を手に取ったことなどないし、どんな人なのかも知らなかった。ランディなんて名前だから、ランディ・ジョンソンを想像して、男性作家なのかと思っていた。

その人が女性だと知ったのも、その人が書いた文章を初めて読んだのも、ついさっき、今朝のことだ。

ネットで、調べものサーフィンをしていたらたまたま、田口ランディという人のウェブログにたどり着いたのだ。それはあの、運命というやつだ。僕がもし、4ヶ月前にその人の文章に出会っていたら、今朝とは全然違った受け取り方をしていただろう。

僕はランディさんと違って、フリーター生活なんかをしていて、今やっている空港での仕事なんかは、成果を求められたり、努力や周囲の評価で給料が変動することなどないし、何かに不安になるとかいうことも全くない。僕は心配性ではないし、むしろその間逆だと自覚している。僕の行動が周囲の人たちを心配させ、僕に対するその過度な心配が心配なくらいだ。

その記事には、ランディさんがいろんなことにビクビクしながら生きていて、心配性だから夢などわいてこないとか、そんなことが書いてあったが、文章全体からの印象では、それほど心配性な人だとは感じなかった。読者の上からモノを言わないように、なるべく自分の弱い部分を強調させて、共感させた上で言いたいことを言ってるような印象を受けた。その解釈は恐らく、単なる僕の希望なのだろうがそれでも、

気功師になったら―。―その気になってしまったらどうしよう・・・
というところでは、「不安」と言いつつどこか楽天的にその、味わいライフみたいなものを想像して、明らかに楽しんでいるように思える。

と、僕はそんな文章分析推測ゲームを書きたいわけじゃなかった。そんなことより僕はただ、嬉しかったのだ。

夢がもてない、自分のやりたいことがわからない……という、若い人が増えているということだったけど、夢をもったり、やりたいことがわかる方が変なんじゃないのか?
と思っている人がこの世界に一人でもいたということが。そしてその人が確かに、僕と同じ時代の中に、今日も存在しているということが。

僕は今まで、いろんな「味わいライフ」のことについて書いてきたが、今のところ一番嬉しくて楽しい味わいというのは、おととい書いた、「共感の味わいライフ」なのだ。

でも「共感」と言ってもいろいろあって、誰かさんの悪口を給湯室で言い合って盛り上がったり、「何だかデニーズのチョコレートパフェが食べたいなあ。」「部長!奇遇ですねえ。ボクも今そう思ってたとこなんですよ!」とか言って媚売ったり、僕が今ここに書いているみたいに「うんうん、アイツはよくわかってるよな」みたいにして有名な人と同じステージに立ったつもりになって調子こいたりと、客観的に見て、「美しくない共感ゴッコ」も結構ある。というか、たぶん「美しくない共感」の方がこの世界には溢れているんじゃないかと思ったりもする。

でも、たとえ傍から見て美しくなくたって、そのとき自分が本当に共感の世界にトリップしていたらそこには、確かに共感の喜びがあるし、嬉しい。自分の大嫌いなAさんのことを、Bさんがすばらしい比喩を用いた言葉で斬り捨ててくれたらちょっと嬉しくなってしまうし、本当にデニーズのチョコレートパフェが食べたいと考えていたときに部長が、「食べたいなあ」とかつぶやいてくれたらビックリして喜んでしまう。

傍で見ている人がどう感じていたって、その共感ゴッコの深みを味わっているのは誰でもない自分自身なのだ。

夢をもったり、やりたいことがわかる方が変なんじゃないのか?
というところで共感して嬉しくなっている僕も、Aさんの悪口を語ってくれたBさんに共感しているのとなんら変わらない。

そして僕は、仕事だとか自己実現だとかいう大きな夢みたいなところではなく、こういうちっぽけな共感の味わいのところに、生き甲斐みたいなものを感じたりしながら今日も生きている。

「気功のプロを絶対に目指す!!」とかいうんじゃなくて、「気功師ってものがあるのか。おもしろそうだからやってみるか」みたいな感じの味わいライフ。

いい作品を書きたいと思うが、それは夢……じゃない。だったらさっさと書けよ……みたいな、そういう今を問われていることなので、とても夢と思えない。夢なんか見てる年かよ……、つべこべいわずに死ぬ前に書けよっていう、突っ込みが自分の内面から入ってしまう、とほほ。
「つべこべ言わずに死ぬ前に書けよ」っていう言葉は、いい響きがした。

これは自分が死んじゃう前にってことなんだろうけど、僕はそれよりも、みんながどんどん死んでいっちゃう前に何か書いたり作ったりしたいと最近感じている。これもおととい書いたようなことだけど、人は毎日いっぱい死んでて、明日誰が死ぬかもわからない。でも必ず毎日、人は死んでいる。死んじゃった人から受信することはできることがあるけれど、死んじゃった人に何かを発信することは一応、できない。それは例えば、夏目漱石の『こころ』を僕は読むことができるけれど、夏目漱石に僕のブログを見せることは、とりあえずできないというようなことだ。

この世界の人がみんな平等に、同じ時間だけ、例えばみんな100歳まで生きてそこで死ぬのだとしたら、僕も何らかの「夢」みたいなものを抱いたりするのかもしれない。でも、生まれて数分で死んでしまう人生もあるし、自分で自分の職業を選べない文化の中に生きる人たちもこの世界にはいっぱいいる。

でもその人たちは決して、「カワイソウな人たち」ではない。誰かをカワイソウだと思う時、その人(物)は自分より不幸だと感じている。じゃあ自分はその人よりシアワセなのか。自分のシアワセって、

「ああ、ワタシ、あの人よりシアワセ」

とか言って、他者との比較によって表せるような、そんなちっぽけなものなのか。

僕はただ、この世界のいろんな味わいを感じた瞬間が嬉しいし、幸せなのだ。それは例えば、スーパーでカゴを同時に重ねようとしてぶつかったおばちゃんと見つめ合って笑った瞬間とか、新宿でホームレスの女性に話しかけられて過ごした数分だとか、空港の郵便倉庫でシーサーが入ってる小包を発見した時だとか、そういう味わいライフの日々なのだ。

数分で終わってしまう誰かの人生も、職業選択の自由がない文化圏で暮らしている誰かの人生も、「夢を持たねばならん!」とか声上げて言ってる人に否定されたって、そこにはそれぞれのオリジナルな味わいライフが確かに存在しているのだ。この世界の光、音、香り、温かさ、苦しみ、きっと僕が決して味わうことのできないような角度から、それぞれを味わっている人がこの世界には、いっぱいいるのだろう。

夢を持てる人が夢を持つのは、それはそれでいいことだと思う。そこにも味わいがあるから。ただ僕は、その「夢」っていうものを、味わいライフのテリトリーから出してしまうのが怖い。いつか似たようなことを書いたけれど僕は、「挑戦の中にある味わい」よりも、「味わいの中にある挑戦」を選ぶ。

だから夢より、味わいライフなのだ。
そして今日も、感謝の日ということで、田口ランディさんに感謝。

さらに、僕がネット調べ物サーフィンを始めるきっかけとなった『バタフライ・エフェクト』について日記で書いてくれてた、恐らくこの文章を読んでくれてるであろうその人に感謝。そして今日も、どうにか死なないように動いてくれてる僕の身体と、殺さずにそっとしておいてくれてる世界中のみんなに、久々に感謝だ。

今夜から、再び徳島へ旅立ちます。味わいたい世界がそこにあるから。

そして僕のゲームはまた続く。
by KazuFromJP | 2005-06-19 11:04 | 味わいライフ | Comments(4)
今月から僕は、空港で働いている。
友達100人できてない。まだ。
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先日、親友のタツヨシから久々にメールが届いた。もう随分会っていないので、僕の存在も忘れかけてる頃かと思っていたのだが、

俺はあいかわらず勉強漬けの毎日だよ。でも後にも先にもこんなに勉強することはないと思うからこれも味わいライフかな。ちょっと苦いけど。
ヤツが、「味わいライフ」という言葉を使ってきたことには驚かされた。なんだ見てたのかよ。インターネットワールドからは遠いところで暮らしていると思っていたのに。

タツヨシは昔から、他人の言いたいことを理解する能力に優れていた。授業なんかでも、先生の言葉のウラにある真意を瞬時に察するので、単なる数字の成績だけでなく、人格も厚く評価されていた。僕が発する、わけのわからない難解な独りよがりの表現や、そのオリジナル言語も、タツヨシはいつも理解した。というより、どこか、さまざまな物事に対する観点がいつも、近かったような気がしていた。

似たような観点で生きていてもやはり、歩んでいく道は十人十色であって、タツヨシは今、僕には絶対に味わうことのできない七転八起的勉学系味わいライフを送っている。一方で僕も、ヤツには絶対に味わうことのできない行雲流水的冒険系味わいライフを送っている。それでいて僕らは、お互いにリアルタイムで進行していく、相手のストーリーの行方を楽しみにしていたりする。

そのストーリーがそれぞれ、サクセス系でもザセツ系でも、とにかく味わいライフなのだ。

僕が好き勝手やって生きてるってだけで、何故だか腹を立てる人とかもいるみたいなんだけど、世界に一人でも、僕の味わいライフを理解して、共感してくれる人がいるってわかるだけで僕は、ここに毎回のように、独りよがりな意見を書いたりしてきてよかったと思える。

まあ、誰かの考えが受け入れられなくてイライラしたりするのも、それはそれで味わいライフなんだけど。嫌われるのも、バカにされるのも、そこには確かに味わいがあるし、それがあるから、数少ない共感者にめぐりあうことに、大きな喜びを感じることができるのだ。

僕は最近、この世界のどこかにいる共感者といっぱい出会っていきたいと思ったりしている。「本」というのは、その一つの手段になればいいなと思って、作ったりしているのだ。

今この世界に、僕と共感しあえてハッピーになれる人がどこかにいたとしても、30年後にはもういなくなっている人がいっぱいいるだろう。僕は4月に徳林寺を訪れた時、自分の歳の3倍近く生きてる人たちと出会い、語り合い、共感しあった。楽しかった。嬉しかった。けれど例えば50歳も年上の人とは、自分が100歳になってしまった時にはもう、出会うことはできないだろう。それから別に、人は年功序列で死んでいくわけじゃない。

僕はもう、中学の時に素振りを教えてくれた先輩の歳を、何年か前に越えてしまった。

今日めぐりあえなければ、明日にはもうこの世から消えてしまっている人もたくさんいる。この世界にはそんな味わいもあって、そんなエッセンスによって、流れていくストーリーは波を打つ。

まあそんなわけで、僕はいろんな世界を歩いて、いろんなところを流れているストーリーに交わっていくタイプの味わいライフを送っていこうと、最近考えたりしているのだ。

先日、ゲームクリエイターの西健一さんが、友達100人できるかなキャンペーンとかいうのをやってて、100人にTシャツばらまいたりして、西さんのゲームをろくに知らない僕なんかもちゃっかりTシャツもらってしまったわけなんだけど、その時冗談めいたノリで西さんにメールしてみた。

「こんなにみんなのハッピー集めて、いったい何をたくらんでいるんですか?」

すると西さんはこう答えた。

ハッピー集めて
世界変革を企んでるんです。
ラブ・ハッピー・ピースワールドへの変革を(^^ゞ
やっぱ味わいだなあと思った。
そして、感謝なのだ。
by KazuFromJP | 2005-06-17 13:06 | 味わいライフ | Comments(0)
僕がその音楽を聴いた時、
僕の、3年に渡った就職活動は幕を閉じた。
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長かった。今日の文章もやたら長い。

僕が就職活動を始めたのは2002年の1月。
専門学校の1年生だった。

ゲーム会社にエントリーシートを送り、履歴書と、ゲームの企画書を書き上げて、会社説明会という名の一次試験へ出向いた。2社受けたうちの1社から電話が来て、面接をしてくれることになった。

そのころよく聴いていた音楽がある。
ジャンヌダルクというミュージシャンの、「feel the wind」という曲だ。音楽の記憶というのは不思議なもので、耳から入ってくるものなのにその記憶は、映像を引き連れて表に出てくる。

今年の4月、その曲を久々に、ふと、かけてみた。何か引っかかるものがあり、何度も何度も聴いてみた。すると3年前の、あのころの風景が、めまぐるしくフラッシュバックし、僕の脳内だけをタイムスリップさせた。その音楽はまるで、タイムマシンのように遠い時間をつなぎ、脳内で繰り広げられるスライドショーのBGMとして、近いようなどこか遠くでただ、流れ続けた。

あのころの、いろんな風景が見えた。その中に、いろんな人がいた。
会社から面接の電話を受けた、集金途中のバイクの上。
店に戻って休みを頼んだ時の店長の表情。
平林さんの授業で、ドアの入り方をみんなの前で練習させられたこと。
卒展のトークショーで出会ったゲーム業界の人。
面接に向かって歩いた大きな道路。
立ち寄った本屋。
面接前に待合室で話したほかの応募者。
おもちゃ売り場で話した男の子。
街角で出会った左翼系の人。
招待された彼らのアジト。
道端で出会ったホームレスの人。
壊れたラジオ。

僕は、ジャンヌダルクをBGMにして続いていたスライドショーの中で、それまで自分がやってきたことが何だったのか、考えていた。僕は、ゲームプランナーになる目的で、ニュージーランドに行った。それは確かなことだ。でもいつからか、僕はゲームプランナーになることを保留にした。

いろんな人と出会い、いろんな物語を聞き、そしていろんな自分とも出会った。そして僕は、ゲーム業界に入る前に、もっと見たい世界がたくさんあるのだと思った。

でも、そうじゃなかった。

帰国後、いろんな人に出会う中で、それまで考えもしなかったことを考えさせられた。

僕がゲーム会社に入らないとしたら、僕がニュージーランドに行ったのは意味がなかったってことなのか? 僕がホストクラブで働いたのは何のためだったのか。 ニュージーランドにいた頃、日の出から日暮れまで農作業してた貧乏で奇妙な集団生活の、あの充実した日々は一体なんだったのか。 英語は、何のために覚えたのか。僕がくぐり抜けてきたいろんな世界とそこに住む人たち、みんな何でそこに住んでいるのだろう。僕は何で、いろんな世界を踏み歩いてきたのだろう。

日本に帰ってきて、履歴書を何枚も書き、たくさんの人と面接する中で、僕はそのいちいちに理由を作らなければならなかった。相手は僕の行動に、「なぜ?」を繰り返し、その答えを求め、強いる。そしてそこで無理矢理作った理由を、正に本当の理由なんだと自分自身、信じ込んでしまうように、いつの間にかなっていた。

そんなある日、ジャンヌダルクの「feel the wind」を聴いた僕は、脳みそだけ3年前にタイムスリップした。そして僕がやってきたことがなんだったのか気づき、僕の就職活動は、そのエンディングテーマと共に、幕を閉じた。名古屋の徳林寺から帰る、鈍行列車の中。

味わいライフ。

味わいライフという言葉が生まれた。

僕は専門学校で、ゲームクリエイターになるための授業みたいなのを受け、そのためにはどんなことをすればいいのか、そのころ出会った人たちがいろんなことを教えてくれた。いろんなアドバイスがあったけどまあ一言でいえば、見聞というやつを広めて己を知れってことをみんな言っていた。しかしニュージーランドの暮らしの中で、ゲーム業界に入ることをやめた後でも、模範的真面目生徒だった僕はその精神のまま、変わらずいろんな物事に向かい合い続けた。

それは、宗教に似ていた。何かを信じて、何かに向かって生きていくことは、ある意味で楽だった。生きる意味について、迷うことがないからだ。僕があの音楽を聴いた時、「ああ僕は、いまだに就職活動を続けていたんだな」っていうことに気づいた。でも、それならこれから、何を目的に生きていけばいいのか。僕はたぶん、その無意識下にあった不安を、ボクシングに守ってもらおうと考えて、ボクシングジムの扉を叩いたんだとそのとき思った。中学の頃、学校が嫌になっていた時に、テニスが、僕にとって聖書のような存在になってくれたように。

今までにいろんな場所で出会った魅力的な人たちの、その生活を考えた。人生のサンプルとして、僕は彼らの姿を思い出してみた。

ニュージーランドにいた人。
ニュージーランドで一人暮らししていた日本人のおじさん(とおにいさんの中間くらいの男性)。
僕をリビングで寝かせてくれたニュージーランド人のおばあちゃんと、元奥さんに子どもを連れて行かれたそのおばあちゃんの息子。
毎日銀行の横でアコーディオンを弾いていたじいさん。
毎週末、浜辺に大きな絵を描いていたおじさん。
その周りを走り回ってたスーパーマンの格好をした男の子。
イカを大量に釣り上げたのに、調理の仕方がわからなくて困ってたおじさん。
田舎の港に入ってきて、こくまろカレーを投げてくれた、日本漁船のおじさん。
ヒッチハイカーになった僕を、2kmくらい乗せてくれた通勤途中のおじさん。
一旦通り過ぎたのにUターンして戻ってきて乗せてくれたおじいさん。
自転車で旅する僕に、バスから声援を送ってくれた子どもたち。
何軒もの職安を案内してくれたニュージーランド人のおじいさん。
対向車とすれ違うたびに手を振ったり、親指を下に向けたりして楽しんでた陽気なバスドライバー。
日本人だって言ってるのに韓国語で喋り続けてきた通りすがりのおじさん。

旅の中にいた人。
屋久島で出会った野性的な関西人。
一緒に風呂に入った、同い年の神戸の公務員。
鹿児島のユースホステルにいた、カップ麺を買い込んだ韓国人グループ。
吉野川を心配していた野鳥の会のおじさん。
栗林公園の池に目を落として動かなかった女性。

新聞の集金で出会った人。
八王子空襲の時、自分を逃がしてくれた素敵な上司を忘れられないおばあちゃん。
いつも下着姿で出てきたおじさん。
大学の公開講座がどうのこうのと語ってくれたクリーニング屋の主人。
正月の朝に、お年玉をポストに貼り付けてくれたおばさん。
いつも、小さな子ども経由でお金を渡してくれたおばさん(とお姉さんの中間)。
バレンタインデーの午前3時に突然ドアを開けて出てきて、朝刊とチョコレートを交換したおばちゃん。

街の中にいた人。
立派な息子を語り続けたホームレスの女性。
僕と話すために、わざわざ1時間半くらいを電車で通い続けてきた左翼系のおじさん。
成田の三里塚で、壁を作っていた機動隊の人たち。
林の影から、メモを取る振りをしてデモ隊をただ眺めていた私服刑事の人たち。
機動隊の顔に顔を近づけて、何か叫んでたデモ隊の男。
孫を迎えるみたいな表情をしていた三里塚の住民。

駅前で、募金箱を持って迫ってきた男性。
意味なさげなアンケートを頼みつつ世間話しかしなかった女性。
なぜか僕を銀行マンだと勘違いして商談を持ちかけてきた男。

・・・・・・書きすぎて何の話だかわからなくなってきた。

ああ、エンディングテーマか。

まあとにかく僕は、いろんな人たちがそこに、確かに存在したことを思い、その生活を、思った。彼らは別に、ゲームクリエイターを目指しているわけじゃないし、ボクシングをやっているわけでもない。お年玉をくれる人もいれば、路上に住んでる人もいる。その中で、誰が誰よりシアワセで、誰が一番スバラシイ人で、誰の生活が一番楽しいのか、そんなものの絶対的な答えなどはない。

味わいライフ。

突如ひらめいたその言葉は、イイコトバだと思った。みんなそれぞれが、その人でしか味わえない暮らしを、ただ、味わいながら生きている。

ああ、なーんだ、高校で習った数学の、シグマだかマグマだかわけわからん公式も、中学の時に連れて行かされた尾瀬も京都も、小学校の運動会も、音楽会も習字も逆上がりも、幼稚園の郵便屋さんゴッコもジェスチャーゲームも、折り紙も梨がり遠足も全部、味わいライフだったのかって、何だか20年近く考え続けてきた難問の答えが、ようやく解けた気がした。それはまるで、巨大な氷山が音を立てて崩れていくみたいな感じだった。氷山ってのを見たことないからよくわかんないけど。

僕が、幼稚園に入った時から歩き続けてきた道が、一旦そこで、途切れたような気がした。
「ああ、僕の就職活動は終わったんだ。僕はもう、学生じゃないんだ」
聖書を失っても、無意識下にあった不安はもうない。もう、夢とか希望とか持たなくてもいいんだって考えたら、ものすごく楽になった。ただ何となく、いろんなことを、味わえばいいんだ。

最後に。あの曲がいつも、最初に連れてくる記憶のこと。

それは、卒展のトークショーに来てくれた田中さらさんの言葉。田中さらさんはゲーム会社の人で、業界の話をいろいろしてくれたはずだった。でももう、そっちの話は覚えていない。

「アンケートはがきで、自分の書いた宣伝記事を読んで買ったという人がいたら、すごく嬉しいんです」
「もし会社に勤めて部下を持った時、女性の部下が、男性の部下と同等に見えたらその女性は、その2倍頑張ってるかもしれないってことを、覚えておいてください」
「出張に行ったときにおみやげのお菓子を買って会社に帰ったら、ほかの人も同じことをするようになって、エゴがいつでもぶつかり合ってた職場がちょっとだけ、柔らかい感じになって嬉しかったです」
「会社の近くに住んで、時間をお金で買ってるような生活です」
「今はただ、しあわせになりたいです」

ゲーム会社のいろんな人の話で今も覚えているのは、田中さらさんの、そんな話だけだった。あれは何だったのかと考えたら、そうか味わいライフだったんだと今では思う。「わが社が求める人材は―」とか、「わが社の熱き―」とかいうところには、物語が見えない。田中さらさんの言葉は僕の中で映像化し、その映像はあの音楽と結びついて記憶となっている。

どこかのゲーム会社の中にいても、多摩川の河川敷に住んでいても、10年くらい部屋に引きこもっていても、刑務所の中に服役していても病院で寝たきりになっていても、銃撃戦していてもアフリカの真ん中に住んでいても、その人にしか味わえない、オリジナルライフがそこにはある。

あの、就職活動のエンディングテーマは同時に、新しい味わいライフへのオープニングテーマでもあった。意識的な、味わいライフの始まり。

僕は今、そんなことをここに書いたりなんかしている。アパートの向かいに住んでるおじさんは今、植木の手入れなんかをしている。近くの国道をバイクで今、暴走なんかしていった人がいる。勝ちも負けも、上も下も、善いも悪いもない。ただそこには、それぞれの味わいがある。

そんなことに気づかせてくれたジャンヌダルクに感謝だ。それから僕が、今まで出会ってきた世界中の人と、ついでに出会ってない世界中の人にも感謝だ。

味わいライフにはエンディングテーマがない。ゲームは終わっても、味わいライフは終わらない。墓石の下でも味わいライフ。
by KazuFromJP | 2005-06-13 07:37 | ゲーム『人間』 | Comments(0)
誰かが言った。
「最も無駄な一日とは、一度も笑わなかった日のことである。」
ある日。23時半。近所のスーパー。閉店真際。僕はそこにいた。
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買い物を終え、レジを通り、カゴからビニール袋に品物をうつす。

終わった。

僕は重たくなったビニール袋を右手で持ち上げ、左手でカゴをつかむ。
脇にカゴが積まれている。

いつもと同じような動きでなめらかに、僕は空になったカゴを左手で、脇に積まれたカゴの上に重ね、流れるようにクールに、その場を立ち去るはずだった。その日、開店時間から何人もの人々がその場所で、繰り返してきた動き、その影に重なるように。

ところが僕は、その影に重なることができなかった。僕が左手でつかんだカゴ、彼が、すでに積み上げられていたカゴたちと同化しようとするその時に、正面から別のカゴが現れ、二つのカゴのエゴがぶつかり合った。

まるでそこに、鏡があるみたいだった。正面から向かってきたカゴは右手でつかまれ、僕のカゴとぶつかった瞬間、僕が反射的に引いたスピードと同じ速度で向こう側に引かれた。そして同じ動きでお互いに顔を上げ、それにともない視線ビームの角度が持ち上がり、目の高さでぶつかり合った。

鏡じゃなかった。そこには、50代半ばくらいの、薬局のおばちゃん風の女性が立っていた。

しかし、鏡の動きはさらに続いた。同じ動きで頭を軽く下げ、相手に聞こえないような声でお互いに何か、ぼそぼそ言った。そしてまた腕を伸ばし、カゴがぶつかりそうになり慌てて引き、「どうぞどうぞ」みたいな動きをお互いにしながらまたぼそぼそ言い、またお互いに腕を伸ばし合い、慌ててそれを引いた。そして数秒間静止し、顔を見つめ合って、そしてまた鏡のように同時に、笑った。

クールにカゴをシュートさせて、くるっと向きを変えて、流れるように立ち去るはずだったのに。

そのあと僕は、強引にカゴをシュートし、何事もなかったかのようにくるっと向きを変え、舞台を去った。スーパーの出口で二度、自動ドアをくぐる。初めの自動ドアの前に立ち止まった時、ドアのガラスに例のおばちゃんが映って見えて、顔が少しにやけてしまう。しかし後ろをついてくるおばちゃんにはクールな後ろ姿を見せ、僕は早足で二つめの扉も突破する。しかしおばちゃんの足音が迫ってくるのが聞こえて、やはり表情は、どうしてもクールになれなかった。

自転車にまたがり、緩やかな坂道を下って帰っていく時、あの、誰かの言葉が思い出された。

「最も無駄な一日とは、一度も笑わなかった日のことである。」

専門学校に通っていた頃、O先生と授業をサボって、「笑うとは何か」とか、「遊びとは」とか、「ゲームとは」とか、そんなことを、風が吹き抜けていくベンチに座って、あーだこーだとよく話していた。

O先生は、「人は、安心した時に笑うものだ」とか、よく言っていた。確かにそうだ。そうなのだが、あの頃に真剣に話してたことは何だかもう、どうでもいい。あの頃はホントに、その時一生懸命に出した答えの一つひとつが、自分の武器か財産みたいに思えて、大事に大事に抱えていた。でもそれらはただの、味わいライフのほんのヒトツ。

「笑う」という仕組みがどうなっているのかなんてわからなくても、人間って、こんなに単純なことで笑えるものなんだと、改めて気づかせてくれた薬局のおばちゃん風のおばちゃんに感謝。味わいライフの基本は、「笑えること」なのかもしれない。

そんなわけで、今日も明日も味わいライフ。舞台となったスーパーの名前もライフ。
by KazuFromJP | 2005-06-08 09:13 | 味わいライフ | Comments(0)
昨日の夜、Uさんに電話した。
「Uさん、カネは、用意できましたか?」
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「いやぁ、ちょっと・・・。」
「仕事は見つかったんですか?」
「いや、ちょっと・・・、まだなんですけど・・・。」

Uさんと僕が出会ったシチュエーションは、妙なものだった。たぶん同じシチュエーションで出会った人はほかにあと、4人くらいしかいないんじゃないかと思う。

4月の初め、僕は名古屋の徳林寺に一週間くらい滞在していた。花まつり週間ということでいろいろ忙しく、地球上のいろんなところに潜んでいる徳林寺仲間が、それぞれの都合がつく限りそこに集い、そしてまた去っていった。

その時期の夕食は、本堂に隣接する長細い部屋で、みんな一緒に食べていた。あの日は確か、30人弱がズラリとざぶとんを並べて、いろんな言葉で話しながら、ガヤガヤ食べたりモグモグ喋ったりしていた。

そんな時ふと、本堂のほうで物音がしたような気がして僕は、席を立って、暗闇に包まれた本堂の様子を見に行った。

暗くてよくわからなかったが、閉めていたはずの戸が開き、畳を浮かべる差し込んだ明かりの中にひとつ、人影が伸びていた。
「あのぉ、こんな時間にすみません。」
若い男の声がした。
「はい?」
彼が口を開くまでの数秒間、僕はこの寺の関係者が何かしているのだと思っていたのだが、そのセリフは明らかに、部外者の証明をするものだった。

「座禅を・・・、させていただきたいのですが・・・。」
「え?」

それが、僕とUさんの出会いだった。


その後いろいろあって、出会いから2ヶ月たった昨日、僕はUさんに電話した。冒頭の会話の続きはこんな感じだった。
「僕は、長かったんですけどついに、新しい仕事みつけましたよ。ちょうど金曜日から働いてます。夜勤なんですけど、深夜手当てのおかげで時給が結構いいんですよ。」
「"夜勤"ってなんか・・すごい会社みたいですね。すごいなあ。」

中略

「いや、でもホントに電話くれてありがとう。」
「いや、僕はUさんの力がぜひとも必要なので。それにWさんもぜひ、Uさんに来てほしいって言ってましたから。お願いしますよ。名古屋から徳島まで夜行バスで、往復1万1800円なんで、まあ1万5000円あったらなんとかなりますよ。」
「そうか・・・、じゃあ何とかしてみるよ。」
「本当ですか? お願いしますよ。」
「うん・・・。徳島、行ってみたいし。でも、こういうの初めてだから、難しいかもしれないけど。」
「じゃあ僕は先に自分のバスを予約しとくんで、今度の金曜辺りまでにどうするか連絡ください。」
「わかった。本当にありがとう。電話くれて。本当に嬉しい。」
「いや、Uさんに協力してもらったら僕の計画がうまくいくんで、よろしくお願いします。」


僕は、本作りプロジェクトの為に、以前訪れた、徳島県上勝町というところに行ってくる。さらにそのプロジェクトを面白くする為に、以前名古屋の徳林寺というところで妙な出会いをしたUさんに同行してもらおうと思い、アプローチをしていた。

Uさんが最終的に同行できるかどうかはともかく、昨夜の電話でUさんは僕に、やたら感謝してくれた。何度も、「本当に電話くれてありがとう」と繰り返した。僕は、勝手に向こう側のストーリーを推測する癖があるのでその時も、もしかしたら家族とケンカとかしててきまずい雰囲気に僕の電話が水をさしたのかもとか、大事に育ててきた金魚のピエールがちょうど天に召されて、ブルーになっていたのかもとか、「オレはもう生きてる価値なんかないんだ」とか考えて、悪いクスリを飲もうとしてたのかもとか、まあそんなこと考えても所詮は僕の味わいライフでしかないんだけど。

ただ、僕が面白いと思ったのは、自分のエゴで行動した僕が、誰かに感謝されてしまったということだ。さらに、「ぜひ行きたい」と言ってくれたUさんの言葉が、「というわけでUさんに感謝だ」というセリフを僕の心に作らせたこと。お互いに自分に好きなようにしようとしてるだけなのに、お互いに感謝し合う、他者から見たら気持ち悪いか清々しいか、そんな関係を僕らは電話で構築していた。

突然だが僕は、「世のため他人のため」に生きてる人が、とても嫌いだ。

僕と似た考えというか、似た性格の人は気がついていると思うけれど、もし僕が、「Uさんの人生のために、Uさんを連れて行こう」と思ったり、Uさんが、「本当は行きたくないけど、キミのためにまあしょうがないから」付き合おうとか考えたりしてたら、お互いに感謝するどころか、お互いに感謝を強要させられてるような気分になり、感謝交換ゴッコなんかやってられない。

感謝の世界は奥が深い。

けっこうみんな、ひねくれ者なのだ。僕は最近、趣味でいろんなものに日々感謝したりして遊んでいるのだが、「感謝しろ」と強要されてるようなものとか人とかには、感謝したい気持ちがちっとも湧かなかったりする一方で、ただ何となく、それぞれみんなが自分の為に何かやってて、それがたまたま僕をシアワセにしてくれてたりするものには、何だか非常に感謝したくなってしまうのだ。

それは何だか、「勉強しろ」と言われるとやりたくなくなるのに、「勉強するな」と言われると何だか、勉強したくなってしまうことによく似ている。

その、ひねくれたところに、深い味わいや趣が凝縮されてたりなんかして、面白い。

そしてそんなことに気づいたりして楽しんでいるとまた、誰かに感謝したくなってくる。今日はとりあえず、いま僕の脳を働かせ続けている、お昼のカツ煮定食を作ってくれた食堂のおばちゃんに、感謝だ。
ああそういえば、明日も感謝の日だな。
by KazuFromJP | 2005-06-07 05:31 | 今日は感謝の日 | Comments(0)