手放してみる
起きる問題の多くは、個人レベルであれ、国家レベルであれ、
何かが足りないのではなくて、
何かが余分なのだと思った。
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少なくとも、自分にとっては―。

久しぶりに、ネポ先生の言葉を借りたい。
ココヤシの実に、ちょうどサルの手のひらが入るくらいの穴を開け、そこから中身をくりぬきます。そして、中をくりぬいた実の中に米を入れ、サルの通り道におきます。

をのうち、腹をすかせたサルが米のにおいをかぎつけ、実の中へ手を入れます。しかし、米をつかんだら、手は穴から抜けなくなります。そうして、米を手ばなさないと、サルは捕まってしまうのです。

米を握りしめているかぎり、サルは自分で自分をとらわれ者にしています。ワナが有効なのは、サルが米を手放すことができないからです。

この話は、深い真実を暗示しています。私たちも常に「自分にとっての米とは何だろう」「握りこぶしを開き、米を手放すのを妨げているのは何だろう」と問いかけてみる必要があります。

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(マークネポ・著 野口嘉則・訳 『自分を変える心の磨き方』より)




何かうまくいかない問題に直面する時、
良い解決法はないかと模索する中、
ついつい足し算で考えてしまいがちだ。

例えばココヤシの実から手が抜けない自体に陥った時、
穴をムリヤリ削って大きくしようとしたり、
腕を振り回してみたり、
手に潤滑油やせっけんを塗ってみたり、
ココヤシの実を割ろうと叩きつけてみたりというようなことを
いろいろ試してうまくいかない。

ぶち当たった「壁」や「敵」の攻略する手立てばかり考えて、
握りしめている自分の手に目が行かない。
そういった場面が、往々にしてあるような気がする。

      ◆

手放すのは怖い。だから無意識にそこから目を背けて、
代替の解決策を探してしまっているのかもしれない。

人々が抱える多くの問題に於いて、
何かを手放す覚悟、勇気を持てたら、
シンプルな解決へと向かうのだろうと思う。

ただその前に、
自分が米を握りしめていることに気づけなくてはいけない。
つかんでいる事に気づかなければ、
手放す発想が生まれないから。

何か問題っぽいことに出会ったときには思い出したい。
自分が何か、手放せなくなっているものはないか。
しがみついているものはないかないか。
何を怖れているのか。

      ◆

何かを手放す訓練としてここに書いていきたい。

「手放さなければ!」
というように気を張らずに
もっと何となく、こうパッと、
「ちょっと手放してみるか」的に。

ありがとう。
今日はサルと米とマークネポ先生感謝の日。

 
 

by KazuFromJP | 2015-10-25 08:55 | 人間学実践塾・ユング心理学など
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