課題の分離。土足対策。
幸せとは、貢献力への確信だと思う。
自分の存在や行動が、
この世界や誰かのためになるだろうと信じられている人は幸せだし、
健康だし、それが生命力を生み出しているような気がする。
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それは自己完結・自己満足の世界になるので、
その人はその人自身が信じる行動をすることで幸せに、
健康になれるだろうけれどその行動は、
別の誰かにとってはおせっかいで余分で、
迷惑になることももちろん往々にしてあるわけで―。

でも行動している人はそれで幸せなので他者からどうこうできるものでもない。
被害者はどうすればいいのかという話だが、
アドラー心理学では「課題の分離」という技を使う。

以下いつもの『嫌われる勇気』より抜粋転載。
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世の親たちは頻繁に、
「あなたのためを思って」という言葉を使います。
しかし親たちは明らかに自分の目的、
―それは世間体や見栄かもしれませんし、支配欲かもしれません―
を満たすために動いています。

つまり、「あなたのため」ではなく「わたしのため」であり、
その欺瞞を察知するからこそ、
子どもは反発するのです。

およそあらゆる対人関係のトラブルは、
他者の課題に土足で踏み込むこと
―あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること―
によって引き起こされます。

課題の分離ができるだけで、
対人関係は激変するでしょう。

(『嫌われる勇気』 岸見一郎・古賀史健 著より)


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野口嘉則さんはこのことを、
「自分の輪郭をはっきりさせる」
「他者と自分の境界線を引く」
という言い方をしていた。

土足で他人の課題に立ち入ることも、
やりがちだということを知っていなければ
「良いこと」をやっているつもりで
ついつい土足侵入をしていることがある。

土足被害を受けることも、
日々自分の感情を細かく観察していると、
それほど大きな感情の揺さぶりに遭わなくとも、
「プチ土足攻撃」は頻発していることに気がつく。
無意識にスルーしているんだけど、
無意識にスルーしていることにもちゃんと気づいていたほうが、
自分の心をコントロールしやすくなる。
「無意識の意識化」などとユング心理学ではいう。
良い言葉だ。

土足被害を受けた時には、
「あ、この人は土足で立ち入ってきてるんだな」と
観察する目を持てたら、もうそこで境界線を引けるものだと、
日々の些細なプチ土足攻撃を振り返ってみて感じた。

      ◆

自分なりの、この世界への、社会への貢献力を、
自分の内側の世界を探して、
どのように見出すことができるのか、それが人生の課題であると思う。

少し前の僕は心理学が万能だと信じていたけれど、
心理学が必要ない人もいるのだと感じる出来事がいくつかあった。

結局、
客観的に見て他者の課題に土足で上がりこんでいる人がいたとしても、
その当人が全く気づかずに他者に嫌な思いをさせていて、
相手の役に立てていると思っているのならその場合、
心理学が必要なのは被害者のほうであって加害者のほうではない、
という意識の転換があった。

どんなに人に嫌がられても、
本人にその自覚がないなら、
問題はどこにあるのかといえば、
嫌だと感じている人の中にあるということ。

その論理はある意味冷徹で、
いじめている人が無自覚であったなら、
いじめられていると感じている人に問題があるということになる。

けど、心理学の示す結論はそこじゃないかと、
いうところにたどりついた。

心理学の結論は冷徹だが、
そこに立ち向かおうとする人のことは、確実に救ってくれる。

心理学は攻撃のための工具箱ではなくて、
救済のための薬箱なんだと思った。

      ◆

また話が飛散したけれど、
たぶんこれがいい。

誰かしらの何かしらになると信じて。
今日も感謝の日。
ありがとう。
 
 
 
by KazuFromJP | 2015-01-18 20:01 | 人間学実践塾・ユング心理学など | Comments(0)
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