ほめない。勇気づけるということ(岸見一郎先生講演より)
Facebookに記事を書くと
早いレスポンスや承認や反論反響多くいただけることもあって、
最近はそちらに浸りがちになってしまっていたけれど、
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このブログが僕のベースだと決めているので、
Facebookに書いたもので自分でも改めて読み返したいものを
転記してまとめておきたいと思う。

      ◆

今年7月に、メンタルコーチの平本あきおさんの赤坂のスタジオで、
いま話題のベストセラー『嫌われる勇気』の著者岸見一郎先生と、
平本さんお二人の対談講演が開かれて、参加してきた。

『嫌われる勇気』は、昨年12月に手にとって以来、
今でもずーっと読み続けている、本当に愛着のある本。
岸見先生は京都の方なので
東京での講演は稀少で、一度お話をお聴きしたいと思っていたところで、
平本さんが開催してくれて本当に心より感謝。

以下その中で印象深かった岸見先生のお話より。

      ◆

保育園で保育士が、一人でボタンを付けられた子に、
「○○くん、すごいねー! ひとりでつけられたねー!えらいね」
と、ほめてはいけない。
「ほめる」は、承認欲求を満たす行為なので、
ほめられた子は、ほめられたい為に一人でボタンを付けるようになる。
が、先生が見ていないところでは一人でやらなくなる。
「先生見て見てー」
となる。
 
      ◆
 
アドラー心理学は「承認」的アプローチを否定し、
「勇気づけ」的なアプローチを勧める。
前述の場面で言えば、
「○○くん、ありがとう! ○○くんがひとりでボタンつけてくれたら、
 先生ほかの子のお世話ができて助かるわー」
というのが勇気づけ的なアプローチ。
勇気づけを受けた子は、
「自分がひとりでボタンをつけるという行為は、
先生の手を軽くしているんだ、先生の役に立っているんだ」
と理解する。
その結果、保育士が見ていない場面でも、
ひとりでボタンをつけられるようになる。

      ◆
 
ほめるという行為には必ず上下関係が生じる。
勇気づけという横の関係を築くほどに
人生は豊かになるとアドラーは言った。
大人の社会でも同じで、
現代の日本人はほめられたい、承認されたい大人が多いと
岸見先生は言っていた。
「ほめられたい」=「絶対的権威の下に置かれたい」
という気持ちの表れで、依存関係から抜け出せなくなる。
 
それは日本の賞罰教育(良いことをしたらご褒美・悪いことをしたら罰)が、
深く起因しているのだろうとのこと。
深く納得させられた。
 
      ◆

ありがとう。
岸見先生、平本あきおさん、アルフレッドアドラー感謝の日。
 
by KazuFromJP | 2014-10-12 11:01 | 人間学実践塾・ユング心理学など | Comments(0)
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