親切依存症 (『自分を変える心の磨き方』より)
親切な人に違和感を覚えることがある。
けれど「お節介」という言葉では、何となくニュアンスが合わない。
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ある行為で、相手が喜んでくれたならそれは、
「お節介」とは呼ばないだろうけど、
喜んでくれることなら何でもやればいいのかというと、そうでもない。
極端な話で言えば、悪代官への賄賂(わいろ)は、
たとえお互い相手の為だと言ってニタニタしてたって、
真の意味ではお互いの為にならない。

けど、賄賂とか悪代官とか、わかりやすい人道の外れ方じゃなくて、
何かこう、一見、美談で語られそうな善行の根底に、
怖れや損得や、それに似た違和感を覚えることがある。

でもそんな風に感じるのは
自分の心のメガネが汚れているせいかもとか思ったりして、
何かモヤモヤを抱えてそんな場面を過ごしてきた。

ネポ先生の言葉に出会うまでは。

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『「自分を変える」心の磨き方』
マークネポ・著  
野口嘉則・訳



親切行為をする人に対して、
ふつう、誰もがなかなか口出しできない。
「あなたのため」と言って差し出す手を押し返すのは、
自分の手にナイフを突き立てるよりも痛みを感じるから。

しかしネポ先生は、ざっくり斬る。
それはアルコール依存症と同じだよ。と。

      ◆

以下、本文「何かをしてあげなくていい」より抜粋引用。

「世話焼きの人生」には、アルコール依存症の人生と同じくらい中毒性があるようです。何にやみつきになるかというと、愛する人の要求に応じているときにたまに訪れる安らぎです。長続きするものではありませんが、人の要求に応じている瞬間は、愛されていると感じるのです。

「他人の世話を焼きすぎる」という行為そのものは、「自分は無価値だ」という思いを一時的に麻痺させる酒のようなもので、その思いを消そうと、しょっちゅう自己犠牲という酒を補給し続けるのです。

この症状はどんどん高じていき、ついには人が実際に求めていないことまで、気を回すようになります。そして、相手が本当に求めていることを言ってくれないと、どうしていいかわからず不安がつのり、何かを提供したり、してあげたりするまで気が休まりません。

この性癖の核となるのは、人に何かしてあげないと自分は愛されるはずがないという、絶えずつきまとう不安です。


昨年震災があって、3ヶ月間被災地で救援活動をしていた。
その頃に、何度かそういう感情を抱いたことがあった。
特に、救援物資の配布や、一般家屋の泥だしに関わる場面で。

どうしても主観でしかモノを見られない世界だったけれど、
被災された方にもいろんな人がいて、
自力で無理してでも何とかやろうとする人と、
全部すみずみまでお願いします的な人と、
その中間の人と、当然ながら、被災する以前に十人十色。

ただ、対するボランティア側の立場は、非常に難しいと感じた。
やはり人だから、喜ばれると、もっとしてあげたくなる。
たとえ相手がもう十分だと感じていたとしても。

そして、本当は別の人が助けを必要としていたとしても、
素直に感謝の気持ちを表すのが苦手な被災者の方のところへは、
ボランティアの手も集まっていかない。

      ◆

いま思えば、自分も含め、みんな中毒に陥っていた。
しかしその中毒ゆえの、行動力やモチベーションによって
成し得たことも多くあったと思う。
ただし同時に、多くの人は燃え尽き症候群へと向かっていた。
いま振り返っても、正解は見えない。


ネポ先生はこの項をこうまとめている。(さらに引用)

一見、「世話焼きはやさしくて、心が広く、愛にあふれる人」に見えます。しかし、実際はそうではありません。他人に何かをしてあげなければと駆り立てられていて、純粋に思いやりにあふれた人生を歩むことができないのです。

彼らは自分の面倒を見ることを後まわしにし、他人のことばかり考え続けて疲れきっています。真に与えられる人間になるためには、人は誰でもありのままで愛される価値があると、信じる必要があるのです。


ネポ先生は本書の中でしきりに、
自分自身を大切にするようにと説いている。
被災地でも3月に震災があってから、確か4月頃だったと思うけれど、
「燃え尽き症候群セミナー」なるものがボランティアセンター内で開かれた。

そこでも講師の先生が、自分の時間を持つこと、
人との距離を置くことをしきりに説かれた。

中毒性が高い、親切依存症の渦に飲まれないために、
いま、自分がどういう状態なのか。どういう状況にあるのか。
気づいておくことが大切だと思った。

特に、周りに世話焼きが多いグループ、
いい人たちに囲まれているしあわせな気持ちの時ほど、
他人との境界線をしっかり引いておかなければ、
本当の自分を見失いやすいだろうなと感じた。

      ◆

あの頃の自分は、そういう場所にいたんだなあと、
ネポ先生の言葉で、ようやくモヤモヤが晴れた気がした。
もちろん、いい人たちに囲まれている方が、
良い影響をシャワーのようにたっぷり浴びて
幸せであることは確かだ。

ただ、良い人たちの波に流されない、
どっしりとした自分の碇(いかり)が下ろせたらなおよいだろうと思った。


誰かの、「行為」に対して感謝するのではなく、
その「存在」に感謝できるようになれた時初めて、
真の意味で「万物に感謝」という心地よさを得られるのかなと
ふと思った。

親切・不親切、さらには善・悪だけで、人の価値は変わらないのだと、
そう思えたら。


ありがとう。ここにいるすべての人へ。

そして今日は、ネポ先生と、愛に悩むすべての人たち感謝の日。
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今日も旅の途中。
by KazuFromJP | 2012-05-02 12:16 | 人間学実践塾・ユング心理学など | Comments(0)
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