サイコシンセシスとロベルト・アサジオリさん感謝の日
この一週間くらい何が熱いかってロベルト・アサジオリという聞き慣れない人とその人の提唱したさらに聞き慣れぬサイコシンセシスというのが激しくやばいのだこれほんとに。
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だからとにかく、
今の僕に説明できるところだけでも書いておく。

世にある自己啓発系の本では、
「本当の自分」の声に耳を傾け、
内なるワクワクに従い行動せよ的なことをよく言われる。

それは素晴らしいと思うし、
僕も基本そんな風に生きてきた。
しかし、
サイコシンセシスで言うと「本当の自分」はそれじゃない。

      ◆

ロベルト・アサジオリさんは、
自己とは、一つのオーケストラのようなものだと言う。
オーケストラの中にはいろんな演奏者がいて、
そのいろんな演奏者がまたいろんな楽器を独自に演奏している。

具体的にそれを性格に置き換えていうと、
何かワクワクしたいことをやりたい自分もいれば、
今のまま変わりたくない自分もいる。
何か努力して成長することが好きな自分も入れば、
面倒くさくてゴロゴロしたい自分もいる。
そこにこんな自分じゃダメだ!って批判する自分もいるし、
ダメだ!って気づいて落ち込む自分もいる。
そんな時、いや、やっぱり俺はできるはずだ!
と自信や闘争心を持った自分もいる。
まあどっちでもいいじゃん、という冷めた自分もいる。

サイコシンセシスでは、それら全てを含めた自分を、
いわゆる「本当の自分」として捉える。
そしてその中にいる各演奏者(=各性格)のことを、
「サブパーソナリティ」と呼ぶ。

      ◆

頑張る自分も、批判する自分も、冷めた自分も、
その個々は「自分そのもの」ではなく、
あくまで自分の中に存在する構成要素の一つでしかない。

その考え方で言うと、
「何の努力もせずゴロゴロしてるなんて自分はダメな奴だ」
というのは、「自分そのもの」がダメなのではなく、
そういうサブパーソナリティが自分の中にいるだけに過ぎない。
そしてその瞬間自分は、
「批判屋パーソナリティ」と同一化していることになる。

同一化とは、オーケストラの中の特定の演奏者になりきっている状態。
そしてこの場合、いち演奏者(批判屋)から別の演奏者(落ち込み屋)へ
厳しい言動を行なっている。

      ◆

ではどうすればよいか。
それは、自分が指揮者の視点で常に
オーケストラをコントロールすることだとアサジオリさんは言う。
この指揮者にあたる人格のことを「パーソナルセルフ」という。

パーソナルセルフは、自分では楽器を演奏しない代わりに、
各演奏者の奏でる音(声・要求)を聴き、
それぞれの持ち味を引き出す役目を担う。

      ◆

ワクワクしている演奏者だけが自分ではない。
個性あふれる楽団の中には、
サボり屋や批判屋、落ち込み屋がいたって良い。
良くないのは、その個性的な音を排除しようとしたり、
そんな音など無いことにしてしまうこと。

指揮者に自分の存在を無視されてしまった演奏者たちは、
オーケストラの調和を乱し、不協和音を奏で始める。
でもそうなったときにはもう、指揮者の目からは、
暴走し始めた演奏者の存在が見えなくなっている。
それが、ユング心理学でいう「シャドウ」である。

      ◆

だから、無理に自分の中にいる気に入らない自分を
切り捨てようと思っても逆効果。
ならどうすればよいのか。

それは、そのサブパーソナリティの存在を認めること。
そういう声が、自分の中にあるのだと気づくこと。
「あ、自分は本当はサボりたいんだな」
「あ、いま落ち込んでクヨクヨしている自分がいるんだな」
「あ、クヨクヨしている自分を否定したい自分が今いるな」

そんな風にしてまず、
それぞれのサブパーソナリティの存在に気づくことで、
特定のサブパーソナリティと同一化してしまうのを防げる。
そして気づくことで自分は、指揮者として
「本当の自分」をトータルにコントロールしやすくなる。

      ◆

と、いうことらしい。
素晴らしいサイコシンセシス。
ありがとうロバート・アサジオリ。

そしてこれらは野口嘉則さんから紹介され学んだこと。
野口さんありがとうございます。
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by KazuFromJP | 2012-04-12 15:26 | 人間学実践塾・ユング心理学など | Comments(0)
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